2011年8月10日水曜日

認識の抽象度

散歩で見かけるスズメをどの抽象度で見ているか?

 これを分類学上のタクソノミーとして考えるとすると、何科だの何族だの何種だのという学問的にとても厳密な話になってくるということにも一理あるでしょう。

しかし、ここでは観察者が観察対象(モノ、出来事)をどのように分類して認識しているのか?というような主観的な分類(例えば、認知言語学上のカテゴリー化とプロトタイプのような考え方で)について考えてみることにしましょう。

http://en.wikipedia.org/wiki/Prototype_theory

ここでは話を簡単にするためまずは生き物であるスズメについて考えてみましょう。

家の近所を散歩しているとよく見かけるのがスズメなのですが、
  • どのような母集団からスズメという生き物を区別しているのか?(カテゴリー化)
  • 自分自身がこのスズメをどの抽象度で認識しているのか?(プロトタイプ)
ということについて考えると非常に面白いことが分かってきます。

それで、個体識別が難しいような状況では、自分で認識しているプロトタイプについて汎化されたスズメの特徴をもった(本当は論理的にしか存在しないはずの)種というレベルでもって、見かけるスズメを、文字通り十羽ひとからげで見ている・・・というような自分の認識のやり方がわかってきます。 

ところが実際に、目を凝らして何羽か集まっているスズメを生暖かい目で観察してみると
  • 寝癖が付いているの や
  • 母鳥と思われる鳥に餌をねだっている毛色の薄いひな鳥 や
  • 体の一部が生まれつき白くなっているの 
を始め個体レベルでみても何らかその個体に特徴的な属性を持っていることが分かってくるわけで、観察している間だけなのですが悪乗りしてそのスズメそれぞれに何らか一意で決まる名前をつけてみることでそれらのスズメを個として認識できるようになるというわけです。

このような認識論をオブジェクト指向プログラミングで例えれば、[鳥]クラスを継承した[スズメ]クラスに具体的なパラメーターやデーターを渡して(ちゅん太郎、雀子というような)[スズメ]インスタンスが生成されたという具合です。

もちろんこれから分かるのは、観察されるものと、観察するものの相互作用において何らかの抽象度でモノや出来事が認識されているということになるわけです。

余談ですが、昔漫才のネタで自殺の名所で自殺をしようと試みている人に、警官が「また、お前が自殺しようとしているのか・・・」という、自殺志願者と個別の人を意図的に混同したかなりブラックなギャクがあったことを思い出すわけですが、

日常生活においても仕事の場面において認識の抽象度を混同してしまうとブラックユーモアを含めたユーモアになる反面、なんらかの認識上の問題を抱えることになることが予想されることになります。

S-O-R 刺激、組織、反応というモデル


http://www.highbeam.com/doc/1G1-14526383.html

上のリンクを参照すると知覚、認識された刺激に対して、認識主体が(情動や感情を伴って)どのように反応するのか?というようなテーマの下

  • 古典的条件付けや
  • オペランド条件付け
について書かれているいるわけですが、単純なS-Rモデルを発展させた、S-O-Rモデルに対して、五感で知覚される情報としての刺激(Stimulus) はいったどのような抽象度でOの部分で処理されているのか?は非常に興味があるところです。

  要は、冒頭のスズメの例で説明した抽象度の話ではないのですが、人間は色々な認識を直ぐに汎化する傾向があり、以下の場合はあくまでも認識に否定的情動が結びついた場合の一例ですが、

  •  おにぎり山の北壁のxx 岩を登っている時 → 恐怖を感じる というような具体的な話から
  • 一般的な山のがけ一般を登るのは → 恐怖を感じる と段々抽象的になって
  • 山を登るのは → 恐怖を感じる とより抽象的な概念そのものにたいして
何らか身体反応が結び付けられてしまうということになってきます。ここで興味深いのは、人は事実に対する認識だけではなく、抽象的な概念に対して反応する結びつきをつくってしまうということでしょう。つまり、人は「恐れ」という概念について「恐れを抱く」といったとても高等な反応が出来るというわけです。

それで、この結びつきをあくまでも事実に基づいて正しく怖がるように、この結びつき方の関係性を抽象度も含めて調整するやり方を持つ心理療法が、ベイトソンの認識論をベースにしている 短期・戦略・システム療法ということになるわけです。

それで、別に病的な状況ではなくても、日常生活や自分の心に注意を向け、どの抽象度の反応にどの情動が結びついているのか?を考えると結構面白いことが分かってくるわけですが、人間の心というのはこういった抽象度はお構いなしに色々物事を結びつける機能があるのだろうなと思う今日この頃だったわけです。

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