2011年8月15日月曜日

一般意味論の三原則



一般意味論の三原則


 認知科学が現在ほど発達していなかった1950年代から1970年代あたりに、「人は何をどのようなプロセスで認識しているのか?、またそこに言語がどのように関連しているのか?」といった認識論的なテーマのもと認知科学の代替として活用されてきた感のある方法論にアルフレッド・コージブスキーの創始した「一般意味論」があります。


 また、一般意味論は、アルバート・エリスのように論理行動療法、あるいは、フレデリック・アレクサンダーのようにアレクサンダー・テクニーク、トニー・ブザンのマインド・マップ、果ては、コージブスキーの言う正気を通り越して、かなり変な新興宗教を創始した人も実際におり、一般意味論が影響を与えた分野は非常に多岐に渡っているいるように思ってきます。


それで、京大が管理しているらぃしサーバの以下のリンクにある「人工言語」について書かれているエッセーの中で


http://lapin.ic.h.kyoto-u.ac.jp/subaru/subaru6.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/人工言語
 

 アルフレッド・コージブスキーの代表作である「科学と正気(Science and Sanity)」を一種の奇書であるとした上で、一般意味論について考察されているエッセーが存在するわけですが、的確な批判とあいまって興味深く読んでみたというわけです。



アリストテレス系 vs. 非アリストテレス系

  ここで一般意味論の主張している一つの概念である非アリストテレス系についてアリストテレス系と対比して少し書いておきましょう。

  第一の原則は、「地図はそれが表している土地そのものではない。(The Map is not the territory)」です。


 これは、自分の外的世界に存在する物事を直接、見たり、聞いたり、感じたりすることは神経学上難しく、実際に私たちが見たり、聞いたり、感じたりしているのは、中枢神経に表象された地図であることが明示されています。 ― そして、状況によって事実である「領土」とそれを指し示している「地図」の区別を付けるべき時はこの区別をつけましょう ― というのが第一の原則というわけです。


 逆に一般意味論で提唱されているアリストテレス系は「地図」と「領土」を同一視する認識論によって何か問題が起こっている人を指しています。 これについて一例をあげると、地図である国旗を踏みつけられたというだけで、相手国に武力行使をしてしまう国、 あるいは、本(地図)だけ読んで実際にそれを経験したつもりになってしまう人などがあげられるでしょう。
 
アリストテレス系非アリストテレス系
AはAである (Identity)地図は領土ではない (Non-Identity)
全てはAであるかAでないかのいずれかである (中間を排除)地図は全ての領土を表わしていない(Non-Allness)
Aかつ非Aは同時に満たされない地図は自己参照的である(Self-Reflective)
  
  そして、第二の原則は、私たちの表象としての地図は当然、わたしたちの外的世界に存在している全ての領土を表しているわけではない、ということになります。つまり、事実として同時に認識できることには限りがあるという具合に考えることが出来ます。つまり、一般意味論の主張する非アリストテレス系は、自分が全てのことを知っているわけではないということを知っている人、と考えることができるでしょう。



 また、第三の原則は、矛盾や悩みの原因、あるいは逆に創造的なアイディアの源泉の要因にもなる、自分の表象の地図に対して自己参照を繰り返すことが出来るという原則になります。 これは人間だけの特権でもあるのでしょうが、人は現在存在していない将来についての不安、過去についての後悔などの概念について悩み、そして心身状態の反応を起こすことが出来る高等な生き物だというわけです。 


 繰り返すと人は恐怖という概念について恐怖を感じる、あるいは幸福という概念について幸福を感じることが出来るということになります。 余談ですが、一般意味論をベースに心理療法は恐怖について恐怖を感じる、恐怖についての恐怖について恐怖を感じる・・・というように抽象度を上げながら否定的な反応を強化する習慣を断ち切る・・・というような介入を行うことが一般的です。 また、一般意味論をベースにした宗教や自己啓発は、抽象度を上げながら自分が幸福だと感じるループを強化する・・・という方向で介入が行われます。


 ここまでをまとめると、一般意味論の主張する非アリストテレス系とは上の3原則を日常生活における自分の認識論の原則に適用して、ネガティブなループに入ることを防止し、かといって過度にポジティブな状態に陥ることを避け、地図と領土を区別することで、正気を保ちましょうということになってくるように思います。

神経言語フィード・バック、神経意味フィード・バック

 また、三原則に関連することですが、一般意味論における言語(あるいは記号、シンボル)の取り扱いについて少し書いておくと、ウィットゲンシュタインが「言語は何ものにも基礎づけられない奇妙なゲームである」(竹田青嗣 「現象学入門」)というとこまで追いつけたのとはことなります。


 つまり、コージブスキーは、主に意識で動作する、言語やシンボルは、自分自身の無意識から立ち上がってくる純粋経験に対して、神経言語フィードバック(Neuro-Linguistic Feed-back)もしくは神経意味フィードバック(Neuro-Semantic Feed-back)というメカニズムで影響を与えるという仮定を行っており、経験についての一種の「条件付け」として機能すると主張されています。


 これについての例を書いておくと、北海道に出張に行った時に食べに行ったとても美味しかったサッポロラーメン店での経験について、その経験を文字や記号を使って書き付けておくと、後日、その文字や記号を見ただけでそのラーメン店で味わった心身状態を思い出すことができるという具合です。


 そのようなわけで、個人的には読者の皆様には楽しかった経験を強化し、必要に応じてその時に味わった心身状態を思い出せるような形式で一般意味論を活用していただき、楽しい日常生活を過ごしていただきたいなと考えています。 

 

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