2011年8月16日火曜日

一般意味論で思考と思考の隙間を開くには?




 
“You see things an you say Why ; but dream of things that never ware an I say, Why not.“  

【意訳】普通の人は起こっていることだけを見て、どうしてそうなっているのかを考える。
しかし、私は、決して起こり得なかったことが起こっていることを想像して、どうしてそれが起こらなかったのかを考える。


George Bernard Show ジョージ・バーナード・ショー

 



霞ヶ関文学について考える

霞が関の官僚さんに限ったことではないと思うのですが、法案など明文化されたきまりを骨抜きにするとても簡単なテクニックが存在します。 

その一つは、あげられた項目に「」と一言加えておくこと、まさに一般意味論で言う「
Etc.」の活用です。

簡単な例をあげましょう。
 

A、B、およびC」


 というようにある要素を列記する場合、最後の要素に「」を加える方法。

 
上の文に「等」を追加して


A、B、およびC


 
 と記述するだけで目的が達成されます。

つまり、A、B、およびCを厳密に定義したつもりでも、この「等」の部分を状況にあわせてどうにでも拡大解釈することができるようになるというわけです。

もっとも、このどうにでも取れるという部分の意図を、
 

·  
「何らかの骨抜き」のために使うのか?
·  
「状況が変化した場合の安全弁としてのバッファー」に使うのか?
  

 あるいはもっと建設的に

·いままで検討したことのない可能性を生みだす思考と思考の隙間」として活用するのか?


 
とするかはケース・バイ・ケースなのでしょうが、日常生活からビジネスの場面まで活用できる概念であることには違いないことが分かってくるわけです。

一般意味論の「Etc.」の意図は?


 以下のリンクを参照すると、外的な出来事がどのように認識され、抽象化の過程を経て、わたしたちの経験が神経系にどのようなコーディングされるのか?

 一般意味論的なモデルである構造微分(Structural Differential) が示されています。 もちろんこれは人の認知を説明するための仮説、モデルであり絶対的なものではありません。


それで、具体的には、
 


  • 外的な出来事が起こった(Event Level)
  • 出来事が観察者の五感で認識された(Object Level) →純粋経験
  • 出来事に対して言語/記号のラベリングを行い記述した(Description Level)
  • 言語/記号を使って推論を行っている( Inference Level) → 意味の形成
  • 推論を行っていてまだ検討していない可能性の領域が Etc. ( Etc.)
 
といった認識主体の身体を伴った情報処理のプロセスが提示されています。

推論部分のロジックとしては、帰納、演繹、アブダクション(仮説的推論)が存在すると思われますが、ここではこの詳細について考えるのは保留しておきます。また、この推論は直線的に行われるわけではなく、人が負のエントロピーを食べて好き勝手に振舞う性質を持っていると考えて、


  • 途中から処理が開始されたり、
  • 途中で処理が中断されたり、
  • あるプロセスから別のプロセスは情報のフィードバックが行われたりする
と考えられます。


これら推論のプロセスを経て、出来事を経験している観察者は自らの表象において、言語/記号を操作しながら推論を繰り返し、なんらかの意味を見つけていくことになると思われますが、この過程において、未だ検討しきれていない「のりしろ」、「隙間」、「可能性」にあたる部分を「Etc.」と呼んでいることになります。

「Etc.」は思考と思考の隙間にあたる重要な部分

 「Society of General Semantics」の会報の名前が実は、「Etc.」なのですが、これからしても、一般意味論において「Etc.」のコンセプトが非常に重要視されていることが理解できます。

 これは、冒頭のバーナード・ショーの言葉ではないのですが、普段我々は、そこで起こっていることがなぜ起こったのかは習慣になっている思考を使って直観的に判断できます。

 しかし、こういった思考に甘んじていると、慣れ親しんでいる、知覚・思考を使った情報処理のパターンに囚われてしまっていて、特に問題が起こらない限りは、知覚・思考パターンや思考プロセス、それ自体がそのコンテクストでたまたま上手くいっているに過ぎないという簡単な前提すら忘れてしまうことになってしまいます。


 そこで何か問題が発生してもついつい普段の慣れた知覚・思考パターンを活用してしまって一向に問題が解決しないという悪循環にはまってしまうことも少なくないなと思ってきます。

 そのような場面で、まさに、この「Etc.」という概念は、(思考の抽象度を上げるという操作も伴いながら)

  • そのコンテクストでは決して起こらなかったことが、なぜ起こらなかったのか?
  • 今まで焦点が当たっていなかった部分はないのか?
  • 今まで使っていなかった知覚・思考パターンはないのか?
といった、「いままでとは違う、知覚・思考パターンを使い、いままでとは違うことを知覚し思考し、いままでの延長にない可能性を生みだすことのできる可能性の空間」が文字通りの「Etc.」であるという結論になってきます。


余談ですが



 一般意味論の影響を大きく受けている、マインド・マップに使うにしろ、コンサルタントが良く利用する、ツールの一つであるロジック・ツリーを使うにしろ、一般意味論の「Etc.」の概念からすると、マップや、ツリーに見えているところを見るのは当たり前の話で、本当は、背景にあって明示的には見えていない可能性についても見ないと行けない・・・ということが分かってくることになります。

0 件のコメント:

コメントを投稿