2011年8月23日火曜日

デカルトのロジックを仕事や日常生活で使ってみる

 仕事や日常生活の場面で思考や発想を漏れ無くダブりなく、将来起こりそうな可能性について考えるための「デカルトのロジック」について書いておきましょう。

デカルトのロジック(Cartesian logic)

   デカルト[1]と言えば、「心と身体の相互作用を重視しない」心身二元論を唱えたことから、近代の哲学や認知科学からは諸悪の根源的な扱いを受ける場合も少なくありません。[2]

 確かに、「心と身体は相互作用する」ことを考えていないと、コーチングやファシリテーションの場面で、物理的な世界の理屈では正しくても、相手の気持ちとして受け入れられない案などを相手の事情を考えずに押し付けてしまうと、相手の感情を逆なでして上手くいかないということが起こってしまいます。

 それでも、相手が心地が良いと考えていることだけに焦点を当てていると現状からブレークスルーやイノベーションを伴う思考や行動も得ることが難しいということも考えられます。

 認識論的には、プラトンが「知識というのは、真であり、なおかつ信じられていることの部分集合である」[3]と言ったように、人間は、自分の持っている認識の枠組み、つまり信念や価値観で見たいこと、聞きたいこと、感じたいことだけに焦点を当てているために、情報に対して何らかの盲点を持っていると考えられます。

 このような場合、デカルのロジックは、コーチングやファシリテーションにおいて現在、認識主体の持つメンタル・モデルから見た将来起こりうる可能性を漏れ無くダブりなく考える場合の質問として非常な場合があります。

 以下でデカルトのロジックについて少し考えてみましょう。

  デカルトのロジックは、数学の逆、裏、対偶の考え方に似ていますが、実際には少し異なっています。(図1)


 図1
  
 ここでの要点は、あえて各象限にある質問で思考を二元論的に線を引いて、普段意識に登っていないことを意識に登らせ、ごく普通のロジカル・シンキングように別の象限と比較するということだと考えられます。

グレゴリー・ベイトソンは、情報を、「A difference that makes a difference.(差異を生み出す差異)」で、2つの要素を比較することで生まれる1つの差異が1ビットの情報量と定義していました。

例えば、ここで、「それをやったら何が起こるのか?」を思い描いた表象と「それをやったら何が起こりませんか?」の表象の差異を両方の表象に対してのメタの視点で比較することで論理階型を一段踏み上がった情報を得ることができるというわけです。

もちろん、この過程で「あっちを立てれば、こっちが立たず」というような二項対立を伴ったパラドクス、ジレンマ、その特殊な形式としてのダブル・バインドが現れてくることがあります。

この場合、通常は、全体最適と個別最適の調和を図りながらどのように解決したらよいのか?について考える必要があるわけですが、これは一般的なロジカル・シンキングの「分ける」という方向とは異なって、身体感覚を伴った視点を綜合して問題が起こっている認識の枠組みから飛び出すということが必要になるため、別の記事で取り上げることにしたいと思います。

文献

[1] http://ja.wikipedia.org/wiki/ルネ・デカルト]
[2]個人的に把握している範囲では、 カリフォルニア大学の哲学科のジョン・サール、同大認知言語学者のジョージ・レイコフ、認知科学者フランシスコ・ヴァレラらはデカルトの二元論を超える理論を提唱している。
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Searle
http://en.wikipedia.org/wiki/George_Lakoff
http://en.wikipedia.org/wiki/Francisco_Varela
[3]http://ja.wikipedia.org/wiki/認識論


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