2011年8月26日金曜日

悪い振舞いの背景にある良い意図を考える

仕事や日常生活の場面で個人や組織が一見すると、不合理であったり、あるいは非常識な振舞いを行っていることが少なくありません。 

それで、多くの場合、他者によっても目にできる、この振舞いを変えようと努力を始めるわけですが、この取組はほとんどの場合徒労に終わってしまいます。

例えば、個人に対するコーチングにおいても単純に振舞いだけを直そうと考える手法を取っているコーチングがありますが、背景にある意図を考えずに振舞いだけを直そうとしても上手くいくことはありません。

また、ビジネスのコンテクストであれば、どうみてもこの不合理である組織の振舞いを改めるべくコンサルティングなどを行うことになるのですが、この背景にある意図を考えずに単純にこの振舞いだけを直そうとしても上手くいくことはありません。 もっとも、組織のコンサルティング場合は、この意図を深堀していくと企業文化というところまで到達することも少なくありません。

さて、そのようなわけで、不合理な振舞いに関連する「よかれと思った意図」について考えてみましょう。

一見良くない振舞いにも、よかれと思った意図が存在している

 Wikipediaによれば、「よかれと思った意図」とは、パロアルトにあるMRIに在籍した家族療法家であるヴァージニア・サティアからもたらされた概念であることが指摘されています。

Virginia Satir originated a slightly different meaning of the phrase positive intention. She believed that digging deeply into a client's dysfunctional or damaging behaviour should find that the client is trying to achieve a positive intent through undesirable behaviour, unconsciously ineptly and harmfully, and that the dysfunction could often be helped by finding other ways to honor that positive intention. [1]

 サティアは、クライアントが、(自分や相手を傷付けるといったような)一般的によくない行為(あるいは機能不全)を行なっていたとしても、この行為の中にクライアントが意識するしないにかかわらず、その行為の前提として、クライアント視点からのよかれと思った意図(肯定的意図)が隠されているとする信念を持っていました。 

そして、このよくない行為とは別の方法でこの意図を満たす方法を探ることで、よくない行為をやめる助けになることを発見しています。(図1)


1

  これは、肯定的意図とは、何らかよくない行為、振舞いがあった場合、世間の常識からみてそれがどんなによくないことであったとしても、その背景にはそれを「よかれと思ってやっている」その「よかれと思う」その思いがであり、この意図を明らかにしていくことが、現在よくないと思われている行為を改善する鍵になるという考え方です。

  例えば、短期・戦略療法をベースにしたコーチングなどにもこの考え方が取り入れられており、良くない言動を変えてもらうために、クライアントが良くない言動を行った時のことを考えもらい、「その行為はよかれと思って行ったのだと思いますが、そのよかれという意図は具体的にはどのようなものですか?」というような「よかれと思った意図」を探っていくような質問があります。

 さらに、この場合、

Chunk up’ to identify the positive intention.[2]

 上の例文のように、いくつかの典型的な言動について、帰納的に共通項を見つけていくアプローチを取る方法も示されています。 具体的には、「行為A、行為B、行為Cに共通する、よかれという意図は何ですか?」と尋ねてベイトソンのマインドの理論に即してメタ記述しながらマインドの論理階型のより上位にある意図を探る方法です。

 また、良くない振舞いを変えるには、「このよかれと思う意図を満たすために行うことのできる、別の振舞いは何ですか?」という質問で代替の振舞いを探っていくということになります。

一般意味論からみた「よかれと思った意図」

 次に一般意味論の視点から、この「よかれと思った意図」を考えてみます。 

 ある状況において、Aさんが、その相手であるBさんから見て適切でない言動を行ったとします。

 ここでの言動は文字通りBさんの視点から五感を使って、直接、見たり、聞いたり、感じたりすることのできるイベントレベルの出来事(領土)であり、この一部がBさんの内部に表象されてBさんの地図となります。

 コミュニケーションに何らかの問題が発生する場合、Bさんは、自分の表象の地図を参照し、Aさんが行った言動を(自分の地図の中にある)単なる言葉や振舞いについての表象ではなく、Aさんそのものであるという具合に考えてしまうことがあります。 

 これは、通常の会話でも相手の言葉、つまり意見について批判を行ったような場合、相手は自分の人格(アイデンティティ)を批判されたと感じてしまうような場合です。 

 一般意味論では、言葉や言動をその人の人格と同一視してしまうような考え方、上の例で言うと、Aさんの言動をAさんそのものであるという考え方をアリストテレス系と呼んで、このようにならないように戒めています。

 逆に「地図はそれが示している土地そのものではない」、「メニューはそれが示している料理そのものではない」、「楽譜はそれが示している音楽そのものではない」という考え方のできる人のことを非アリストテレス系と呼んでいます。

 非アリストテレス系の考え方として、

 Iとは「非同一性」non-Identityである。一般意味論ではいかなる事象も同一ではないとし [3]

 領土と地図の区別を付けることと、地図の中の論理階型の混同を無くすことが提唱されています。


文献
[1] http://en.wikipedia.org/wiki/Positive_and_negative


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