2011年9月11日日曜日

メタ・コミュニケーション ― 言語のコトバと感覚のコトバ



Choosing congruence means choosing to be ourselves, to relate to and contact others, and to connect with people directly. -- Virginia Satir
コングルーエンス(調和)を選択することは、他人と関わり、そして交流を持ち、人々と直接つながりを持つ自分自身になる選択をすることを意味している。
ヴァージニア・サティア 家族療法家
 
 今日は、家族療法家のサティアの言った、コミュニケーションにおけるコングルーエンス(調和)について書いておきましょう。
言語のコトバと感覚のコトバ

まずは、Youtubeにアップロードされていた家族療法家のヴァージニア・サティアの語る、コミュニケーションのコングルーエンス(調和)についての映像から。
 
 この中でサティアは、クライアントさんと向き合っている時の「言語のコトバ」と身体や表情から受ける「感覚のコトバ」の対話(ダイアローグ)ついて語っています。
 
 この映像からすると、クライアントを観察した時、意識≒言語としてのコトバ無意識≒身体としてのコトバが不調和を起こしていることが見て取れるような場合、例えば、言っていることと表情に不調和がある場合、クライアントの心で何らかの不調和(インコングルーエンス)が起こっている査証であり、これを手がかりにクライアントの抱えている課題を探ることになります。
このあたりは後に、MRI(Mental Research Institute)のベイトソン・グループによってメッセージとメタ・メッセージの関係がダブル・バインド仮説として定式化されることになるわけですが、この取り掛かりとして、サティアは、まず言葉自体のメッセージと、普段は意識に登っていない「メッセージについてのメッセージ」であるメタ・メッセージとの関係性、特に不調和について観察するというところから始めているように思ってきます。
  これについて、ベイトソンと研究を進めたMRIのポール・ウォツラウィックが「カップル・セラピーが終了するための基準は?との問に、妻が入れたコーヒーを夫が不味いと言った時に、お互いが単に事実としてコーヒーがマズイだけだということを理解出来ている時」というのを思い出します。[1]
それで、何をメッセージ、何をメタ・メッセージとして解釈するのか?は情報の受け手と送り手、そして文脈との関係性で決まってくるわけですが、上の例で夫の言った「コーヒーが不味い」のメッセージの中に、妻が「こんなコーヒーを入れるなんて本当にどうしようもないやつだ」というメタ・メッセージを受け取ると身体的に否定的な反応が起こり、不調和が起きてしまうということになります。
 もちろん、これは、ベイトソンのTheory of Mind からすると、論理階型の混同であり、妻はいくつもの可能性の中からその解釈を自分で選択しているということになるわけですが、最終的にはこの混同から抜けられるように、あるいは良い意味を選択出来るように認識を調整する支援をする・・・というのがざっくり言うと家族療法の要諦となるわけです。
 余談ですが、催眠療法家のミルトン・H・エリクソンはコミュニケーションにおける不調和を発見するためにメタファーを使っていたといのをどこかの文献で読んだ覚えがありますが、今これが見つからないので見つかったら詳細を書くことにしたいと思います。
文献
[1] http://www.amazon.co.jp/Six-Blind-Elephants-Understanding-Fundamental/dp/0911226419

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