2011年9月18日日曜日

質問と自己意識とシステム論

今日は、「質問と自己意識とシステム論」と題して少し書いておきましょう。

一般意味論の構造微分

一般意味論では、私たちが世界をどのようなプロセスで認識しているのかを著した構造微分(Structural Differential )という概念モデルが存在します。


 今日は、はじめに、このモデルを元に私たちの自己について少し考えてみましょう。



 もちろん、これは一つのモデルに過ぎないのですが、(意識に上がっている、上がっていない、の違いはあるとして)球の外側にはマスクメロンの網のように言語の概念でつくられた世界の枠組みが存在し、中心には卵の黄身のような状況によって非常に流動的な五感の感覚だけが存在しているような構造になっています。

従って、精神分析のように自己をどんどん掘り進めていっても最終的には、自己について、今ココにある五感の感覚以外には何も見つからないというモデルになっています。 

 これは、ベイトソンに端を発する、短期・戦略・システム療法や家族療法が、精神分析のように過去を取り扱わず、文字どおり分析を行わず、リフレーミングなどの手法で、現在持っている(主に言語によって構築された)世界を認識する枠組みだけを変えることで知覚のやり方も変化する、というパラダイムを持っていることを考えると非常に興味深いことのように思えてきます。

自己意識の境界
ここで、少し、自己ということについて考えてみましょう。

  仏教などでは大昔から言われていることですが、「自己(意識)」というのは固定されているものではありません。  

それで、有名なグレゴリー・ベイトソンの「盲人の杖」について考察が存在します。ここでベイトソンは、盲人が杖をもった時盲人の自己意識の境界はどこなのか? ということを考えています。[1]

 物理的には盲人と杖はまったく個別の要素ですが、認識主体が感じている自己意識の境界は、例えば、杖の先端まで届いていたりしています。

これは車を運転している時、自己意識はどこまで届いているのか? という問と同じようにも思ってきます。

例えば、高速道路を走っている自己意識は車の隅々にまで広がっていて、轍に乗り上げた時、この轍をまるで、自分の足の裏やお尻で感じているということが起こります。  
また、楽器を演奏している時、上手く演奏できている時は楽器が自分の体の一部となって一体化しているように感じることがあります。

このようなことから、分かることは、論理的な自己(意識)は、固定されたものではなく物的な要素も巻き込みながら生成されており刻々と変化しているのだと思います。

余談ですが、この自己意識を宇宙全体に拡大して自己同一化しようというのが仏教の企ての一つということなのでしょう。

身体と自己意識とオートポイエーシス

 それで、上で書いたような刻々と変化する自己意識のようなことを表現したらどうなるかと考える人が居るのは世の常です。

普通に考えると、ウィナーのサイバネティクスやベルタランフィの一般システム論[2]ではどうしても論理と物理の二元論を超えるような表記が難しく、プリコジンの動的非平衡システム[3]で複雑系に抜けるのもちょっと違うな・・・ということになってしまいます。

  それで、あれこれと考えていくと、家族療法にも持ち込まれているマトゥラーナ、ヴァレラのオートポイエーシスのシステム論で考えるようになって初めて物理的な身体と論理的な意識との相互作用を(数式とかを使わずに自由に)記述することが可能になるということになります。[4]

逆の言い方をすると、環境と自己とを区別して都度立ち上がってくる(生きている限り自己の連続性はある)オートポイエーシス論は生命を記述するためのシステム論なので、身体―心、物理―論理といった心身二元論を超える生命を記述することにこそ向いているというわけです。
 

エリクソンの質問とオートポイエーシス

それで、前置きが長くなったわけですが、今日の本題に入ります。以下のリンクにあるように

http://www.emeraldinsight.com/journals.htm?articleid=875736&show=abstract

催眠療法家のミルトン・エリクソンの質問をオートポイエーシス論の視点から考察した論文なのです。

当然、心理療法家は、当然、質問しながら心理療法のプロセスをすすめて行くことになるわけですが、クライアントつまり質問の受け手の注意の向いている先を変え、意図を変え、認識知覚のプロセスを変え・・・とやっていくと、オートポイエーシス論的には、自己を創発させる構成素が変わってくるわけですから、ある意味、新しい自己意識が創発して、この自己意識(境界とか、質感・・・)というのは違ったものになってくるというわけです。

 もちろん、オートポイエーシス論は、家族療法での応用のほうが一般的だとも思ってくるのですが、以下のリンクで書いたように 

http://ori-japan.blogspot.com/2011/09/blog-post_04.html

家族療法家のサティアがクライアントに良く聞いていた4つのキークエスチョンについて考えると、ある文脈で問題を抱えている時の自己意識と、うまく対処している時の自己意識は当然異なるわけで・・・ 例えば、問題を抱えている時の自己意識をどう知覚させ、(クライアントのメタ認知を促すことで)うまく対処している時の自己意識にどう変化させているのか?という視点で読むと、とても面白くなってくるというわけです。 

それで、 まったくの余談ですが、うまく会社を経営している経営者の意識の範囲がどこまで届いているのか?を聞いてみると面白いかもしれませんね。 もちろん、優秀なサッカー選手の意識の範囲がグラウンドのどの範囲に届いているのか?というのと同じようなことなのかもしれませんが・・・上手く行って入る時の自己意識と上手くいっていない時の自己意識の違いを認識して、上手くいっている時の自己意識に調整できるかどうかは非常に重要なことなのでしょう。

文献
[4] http://www.enolagaia.com/Bib.html


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