2011年9月17日土曜日

一般意味論の E-Prime について

今日は、アルフレッド・コージブスキーの創始した一般意味論における概念で、その著作「Science and Sanity」で解説されていた E-PRIME について少し書いておきましょう。[1]

E-Prime とは何か?

E-Prime の定義について下のリンクを参照すると、 

 E-Prime (short for English-Prime, sometimes spelled E′) is a form of the English language in which the verb to be does not appear in any of its forms. E-Prime therefore does not use the words "be", "is", "am", "are", "was", "were", "been" and "being". Neither does it use their contractions: "'m", "'s", "'re".  
  
 
という記述があり、簡単に言うと、"be", "is", "am", "are", "was", "were", "been" and "being"といった Be動詞を使わない表現にしましょう・・・という概念です。

一般意味論では、「地図はそれが示している土地そのものではない」で示されていましたが、Be動詞は、表象された、外的事実(領土)を内的な心象地図(地図)に誤ってマッピングしてしまう性質を元々持っているために、表象された要素にラベリングを行い、言葉を使って表現する場合に注意が必要だとして特に注意する必要がある動詞だというわけです。

ほんの一例として、

1. I am blue . (私は憂鬱だ)
2. I feel blue. (私は憂鬱だと感じている)

2. E-prime の形式になっていてあくまでも認識主体の感覚としてたまたま憂鬱を感じているという解釈なのですが、1.は認識主体の自己認識として憂鬱、つまり自己=憂鬱という、どちらかというと固定化された認識が出来てしまうというわけです。

個人的にはこれを多少拡大解釈して考えていますが、日常生活や仕事の場面で上手にコミュニケーション出来る人は、英語、日本語に限らず、必要に応じて

  •       事実と意見、解釈を分けて考えている

意見、解釈は事実に対していくつもあり、それは誰がたまたま選んでいるに過ぎないと考えている

  •   振舞い、行動、と人格を分けて考えている

そのコンテクストにおける振舞いは良くないが、きっと何らか良い意図があってそうしたのだろうと考えている

  • 意見と人格を分けて考えている

人格を否定するのではなく、その意見として是非を問いたいと考えている

という思考が使える人のように思えてきます。

文献

[1] http://esgs.free.fr/uk/art/sands.htm
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