2011年10月4日火曜日

イチローとメタ認知と「離見の見」


舞に、目前心後と云事あり。「目を前に見て、心を後に置け」となり。見所より見る所の風姿は、我が離見也。然れば、我が眼の見る所は我見也。離見の見にはあらず。離見の見にて見る所は、即、見所同心の見なり。其時は、我姿を見得する也。

口語訳

舞において、目前心後ということがある。「目は前方を向いているが、心は自分の後ろにおけ」ということである。観客席から見られている自分の姿は、離れて人から見られている自分の姿、つまり離見である。これに対して、自分の目で自分を見ようとする意識は我見である。これは離見で見ているのではない。離見で見るということは、観客と同じ意識で見るということである。このとき自分のほんとうの姿がわかるのである。

 「風姿花伝」
 
今日は、「イチローとメタ認知と『離見の見』」という題で少し書いておきましょう。

イチローと「離見の見」

 最近、ある意味古典を読んでその書き手の知覚・思考プロセスをモデリングしているところがあるのですが、現在、卓越性を発揮している人たちとの共通点が見つかることがあります。

例えば、MLBマリナーズのイチロー選手と、観阿弥・世阿弥親子。

野中郁次郎/遠山亮子/平田透 共著「流れを経営する」の中に以下のような記述が存在します。[1]


型(パターン)は実践から生まれるが、単なる現場主義ではない。 現場からのフィードバックを受け、絶えず型を洗練していくためには、客観的な観察と行動の修正を同時に行うというメタ認知が必要である。・・・・(中略)・・・
イチロー(鈴木一郎)選手は、自らの型について、彼がバットを振るときにその自分を見ている別の自分を感じている、と述べている。

  

 
この記述を読むと、イチローは、ピッチャーに向かい合うバッターボックスに居る自分という以外に、メタの視点で見ている自分というのを同時に設定し、メタ認知しながら、自分のフォームを試合中に逐一チェックしていることが理解できます。

 当然、ピッチャーや自分の状態、あるいは試合展開からフィードバックを得ながら、メタの視点から自分のフォームをリアルタイムで進化させているというわけです。

このあたりは認知科学の研究を待つまでもなく、日本では14世紀には「風姿花伝」として場を含んだ「離見の見」として形式知化されていたということになるわけですが、身体感覚を伴った技がイチローを始め様々な所に継承されて居ると言って良いのでしょう。

 もっとも、これに関連して、以下のカナダ軍の大学にアップロードされているドキュメントを参照すると、戦闘行為と言った何が起こるのか予想の難しい複雑な系の中でどのように情報を収集し、どのように意思決定を行うのか?ということでカリキュラムとして、このようなメタ認知のスキルが教えられているようです。

http://www.cfc.forces.gc.ca/papers/amsc/amsc5/rousseau.pdf

また、以下の論文を読むと身体感覚を言語化することで抽象化し、メタ認知を促すことでパフォーマンスを向上させましょうという論文が非常に興味深いと思います。


もちろん、メタ認知はスポーツに限らず、学習全般に適応可能で、例えば、ミクロ・レベルの、コーチング、ファシリテーションからマクロ・レベルのプロジェクト・マネジメント、経営といったところまで範囲に適応可能です。

文献
[1] http://www.amazon.co.jp/dp/4492521828

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