2011年10月6日木曜日

カタをマスターすることで自由になる


知は愛、愛は知である

西田幾多郎


今日は、「カタをマスターすることで自由になる」について書いておきましょう。


一般的には、カタ(パターン)について考えると、どうしても、「カタにハマる」ということを連想してしまいます。 つまり、金太郎飴やたい焼き、あるいは、たこ焼きのように抽象度の低い杓子定規なカタに何かを当てはめる、あるいは身体化して何かを行うというあまり良くない意味になるというわけです。

 しかし、同じカタでも、武道の達人のように非常に抽象的なパターンを身体化することが出来れば非常に自由度の高い動作を状況に応じて繰り出すことが出来るようになるというパラドクスがここでのテーマです。

SECIモデルを回す時の各プロセスのナレッジの抽象度は?

ナレッジ・マネジメントの手法のモデルとしてSECIモデルというのが存在します。[1][2]

このモデルは「匠の技」といったような暗黙知を、伝統芸能の継承者が、師匠の箸の上げ下ろしを行なって身体的にマスターするように、暗黙知→暗黙知としてモデリングするところから始まります。そして、この一部を暗黙知→形式知化し、そしていくつかの形式知を連結、また暗黙知に戻してナレッジを身体化し洗練させていくという一連のプロセスを繰り返すことからなります。

 それで、ITで扱うことの出来るのは基本的には、この中の形式知の部分だけですので、多くの暗黙知は個人や組織の中に、もっと言うと個々人の神経系の中に身体化されて蓄積しておく必要があります。

 それで、組織に変容や変革を導く経営手法である Theory Uの開発者であるオットー・シャーマ氏とこのSECIモデルの開発者である野中郁次郎先生の対談「Five-phase model of the organizational knowledge-creation process」のP.5 の図を参照していて面白いことを再認識したので、まず、これについて書いておきましょう。

http://www.ottoscharmer.com/docs/interviews/Nonaka_interview.pdf

このFigure3 (図3)は、外的世界である顧客、市場、競合などの情報を自社に取り込み

・暗黙知の共有 (暗黙知を暗黙知としてモデリングする。)
・コンセプトの構築 (暗黙知を形式知化する。)
・コンセプトの正当化(承認)
・アーキタイプ(原型)の構築 (形式知の抽象度を上げる)
・知識の相互平準化  (形式知を連結し、身体化して暗黙知に戻す)

  
  というプロセスを行き来しながら、知的創造を行い、最終的に、その企業のアウトプットとして、製品/サービス、特許、広告を生みだす、いわゆる上で述べたSECIモデルのプロセスを時系列に見たモデルが示されています。

カタをマスターすることで、より自由になる

上に箇条書きにしたプロセスで個人的に気になったのは、特に、「アーキタイプ(原型)の構築」というプロセスです。

アーキタイプというのは、心理学者のユングの著作を読んでいると出てくる言葉ですが、個人的には、アーキタイプとは、抽象度を上げて煎じ詰められた武道などで言う「カタ」であり、ベイトソンが言うパターン(どちかというとメタ・パターン)のことなのだろうなと考えています。[3]

それで、野中先生の講演のスライドがネットに落ちていたので、そのPDFファイルを開いて以下のリンクのP.32を参照すると

http://opdc.go.th/uploads/files/nonaka.pdf
 

Practice as Kata(Creative Routine)

Kata has a high quality feedback function that sharpen senses and help to notify and modify the differences between predicted outcomes and reality.

-Creative Routine: Continuous spiral of tacit and explicit knowledge until it becomes the second nature.

  Kata(form) means “way of doing things.”

-Kata is the core of ideal action.

-Good Kata functions as archetype that fosters creative routine but provides higher freedom.

-Shu守(learn), Ha破(break), and Ri離(create) steps are critical in continuous self-renewal processes. 

 下から二行目に「アーキタイプとして優れたカタは、創造性を発揮するための型にはまった習慣を育む働きをする、しかし、それは大いなる自由を提供する。」という記述があります。

こういう言葉を聞くと、催眠療法家のミルトン・エリクソンにダブル・バインドの質問をされる、もしくは禅宗のお坊さんに禅問答を投げかけられたような気分になってきて、ちょっとパラドキシカルな世界の探索が始まってしまうことになります。

一般的に「型にはまる、型にはめる」というのは抽象度の低い、まるで型にはまって製造される金太郎飴のような成果物を量産するイメージです。

 しかし、ここで言うカタとは、武道で言うあらゆる状況に対処するための構えや行動が帰納的にメタに濃縮され、非常にシンプルですが、極限の機能美までに高められて非常に力を持った抽象度の高いパターンが身体化された規範動作であると個人的には考えています。  

 つまり、「型にはまると不自由だけれども、カタ(パターン、メタ・パターン)をマスターすると自由になれる・・・あるいは自由になるためにカタをマスターする」という哲学的でかつ逆説的な命題になってくるというわけです。

メタ・パターン同士を綜合して新しいパターンを創発させる
 
そのようなわけで、SECIモデルは見方を市場、顧客、競合のベスト・プラクティスをモデリングして抽象化されたカタ、つまり、このアーキタイプを取り出すためのフレームワークと言うことが出来るでしょう。

逆に、アンチ・パターンを取り扱ってもよいのでしょうが、この場合も抽象度の高い、パターンを取り出すということがひとまずの目標となるでしょう。

さて、ここでSECIモデルについて少し考えみましょう。

市場、顧客、競合などの情報について

アーキタイプ(原型)の構築  

のプロセスで、一度抽象度を上げ、アーキタイプ、つまり、メタ・パターンを取り出し、

知識の相互平準化  

このプロセスは、ベイトソンやウォツラウィックなどの心理療法家が開発したダブル・バインドを超えるためのプロセスと驚くほど一致しているのですが、抽出されたメタ・パターンとメタ・パターンをぶつけることで二項対立、パラドクス、を十分に感じ、その後、その二項対立を超えるために、それらをメタに綜合(そうごう)して、二項対立を起こしている視点より上位の視点へ飛び出し。新しいナレッジを創発させる・・・これにより思いもよらない新しい製品やサービスが出来る可能性があるということになってきます。その後このパターンを身体化して暗黙知に戻しSECIのプロセスを反復して回すことになります。

逆に、このプロセスにおいて、ベストプラクティスのモデリングも行わず、抽象度の高いアーキタイプを抽出しないやり方を採用するのであれば、市場調査からの結果、顧客へのアンケートやフォーカス・グループの結果、競合の提供している製品・サービスを単純に参考にして製品開発を行っても大した製品やサービスは出来ないのではないかと思ってくるわけです。

 もっとも、しばらく前に多くの企業に導入されたナレッジ・マネジメントが上手く行かなかった原因はここにあるのだろうなと思ってきます。

 そう考えるとやはり、メタ・パターンを使いこなす、これがナレッジ・マネジメントでの一つの鍵となって来るわけですし、匠を技を徹底的にモデリングして取り出すための必要条件というのは間違いの無い事実なのでしょう。 

文献
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