2011年10月20日木曜日

意識と無意識の関係性



私達は言葉にできるより多くのことを知ることができる。

マイケル・ポランニー


 今日は、ミルトン・エリクソンの言語パターンから端を発する考察について少し書いておきます。

 あまりまとまっていないので後で追記したり、構成を変えたりするかもしれないので予めお断りしておきます。

未だに謎が多い言語パターン

心理療法家のエリクソンが用いた言語パターンについて、チョムスキーの変形生成文法を援用したり[1]、レイコフの認知言語学を援用したり[2]色々な切り口から解析が行われていますが、未だ持って多くの謎を含んでいます。

もちろん、まるで地球以外に生命は存在するのか? とか ネス湖にネッシーは居るのか?というようにある程度この謎がないと冒険心にとんだ人を惹きつけることはないのでしょうから、探求しても探求しても謎が残っているのは、ある意味、飽きが来なくて良いことなのでしょう。

そんなわけで、私もこの謎を解明するべく、エリクソンにはどっぶりはまってしまっているというわけです。

それで、今日はこの言語パターンについて少し書いておきましょう。

個人的に特に気にいっているのが、エリクソニアンの間では有名な「Consious/Unconsious」スプリット・パターン。

まず、言語パターンだけを見ると

Your conscious mind can pay attention a few things , but your unconscious can pay attention to everything.

Your conscious mind is listening to my words , but your unconscious is listening to how I am saying them.


というように活用します。



意識と無意識の円環的関係性


もっとも、ここで Conscious(意識)=形式知、簡単に言うと何をやっているかを言葉で説明できる言葉の知識 Unconscious (無意識)=暗黙知、言葉で説明するのは難しいけれどもやろうと思えばやれる身体知 というように マイケル・ポランニー式に考えるとすっきりしてきます。


それで意識、無意識をあえて区別するとどうなるのかについて書いたのが以下です。もっとも、ここで注意するのは意識、無意識は言葉で便宜的に二分しているだけですから本当はこういった二元論的世界が存在するとは考えないほうが良いでしょう。
 
意識(言語/記号)による思考
無意識(五感・気持・情動)の知覚
 形式知
暗黙知
 同時に意識できる要素は7±2の制限
全体をひとつとして感じる
全体ではなく部分だけを見る(中心視野)
部分ではなく全体を見る(周辺視野)
対象の実体を見る
対象の関係性を観る
コンテキストとは切り離された客観的知識
コンテキストに応じた実践的知識
(デジタルな)量を考える
(アナログな)質を感じる
静的な要素の構造を見る
動的なプロセスを観る
物事のコンテンツを見る
物事の冗長性を含むパターンを観る
ロジカル・シンキング
直観、直感的アブダクション
集中
分散
現実的
比喩的
線形・因果的
非線型、創発的
言語的
非言語的
頭で考える
身体・場を感じる
目的指向・単一的な価値
非目的指向・多値的な価値
  
 それで、要は、普段は中々意識していない、形式知と暗黙知を(認識の中で分け)、ベイトソン的には、さらにその円環的な関係性について意識してみましょう。 おそらく、その関係性を回復することで、仕事や日常生活における問題を解いたり、課題を解決したりできる素晴らしいアイディア、資質、心身状態が活用できますよ。 さぁ、普段眠っているこの力を呼び覚ましましょう・・・と言っているように読めてくるわけです。


 もっとも、意識と無意識の関係性を取り戻すには、静寂な森の中を歩いたり、美しい景色をみたり、体を動かしてみたりとする必要があるように思ってきます。

文献
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