2011年10月26日水曜日

黄金比と神話のパターン(その2)



もちろん、すべての前言語的ならびに非言語的コミュニケーションはメタファーおよび/ないし草の三段論法によるというわたしの主張が、すべての言語的コミュニケーションが論理的ないし非隠喩的だという意味でないことはいうまでもない。メタファーがクレアトゥーラ(記述の対象となる現象自体、差異、対化、情報といったものによって支配され決定されるような説明世界)全体を貫くものである以上、すべての言語的コミュニケーションは必然的にメタファーを含む。

グレゴリー・ベイトソン「精神の生態学」


今日は、「黄金比と神話のパターン(その2)」ということについて書いておきましょう。 

今日の記事は、自分で読んでいてもサンスクリットで書かれた経典みたいな感じになった感がありますが、よかったらどうぞ読んでみてください。ちなみにこのブログをどう読みやすくするのか?というのもひとつの課題ですが、フォントを「メイリオ」に変えてみました。

すべての認知はメタファーである

冒頭にベイトソンの引用を持ってきて、ちょっと混乱された方もいらっしゃるかもしれませんが、非常に簡単に要約しておくとベイトソンは意識と無意識をつなぐ言語、つまり無意識の表出がメタファーだと経験から洞察していたことを前提にして話を始めたいと思います。


それで、このあたりを学術的に説明しようとすると、メタファーをヒトの認知の中心と考えた、UCバークレーのジョージ・レイコフもしくは、オレゴン大学のマーク・ジョンソンの著作「Metaphors We live by (1980)」、「The Body in the Mind (1987) 」、「Women fire and dangerous things(1990)」、「Philosophy in the flesh (1999)」、あるいは神経学的にメタファーの影響を研究しているナラヤナン[1]あたりの話になってきます。

個人的には、このあたりの著作をひと通り読んでみたわけですが、デカルトの二元論を超える、「身体化された心」を取り扱うエナクティブな学派の認知科学にすっかり魅せられてしまっていて、久しぶりに何かにハマったなという感じがしているわけです。[2]

 もっとも、このあたりの話も、おいおい、このブログで書いていこうと思いますが、書き始めると終わらなくなるため、ここではとりあえず認識主体の認知を規定するものがメタファーであり、認識主体であるヒトそのものの認知がメタファーそのものであり、このメタファーを変えると心の高次にある認識に変化が起こるということをざっと書いて次の話に移りたいと思います。

Multiple Embedded Metaphors

それで、ここで2つ前に書いた「黄金比と神話のパターン」というところに戻って考えましょう。


ハリウッドの映画や小説などでジョセフ・キャンベルの神話のパターンが使われているということについて説明しました。

 それで、ここではこの神話のパターンに加えて心理療法家のミルトン・エリクソンがクライアントの認識を変化させるために用いたストーリー・テリングの手法である Multiple Embedded Metaphors (以下MEM) について少し書いておくことにします。この手法はランクトン夫妻によって形式知化されたエリクソンのテクニックの一つです。[3]

 この手法は心理療法以外にも聴衆の信念・価値観などの高次の認識に働きかけて、これらを変化させるための演説やプレゼンテーションに活用されています。余談ですが、オバマ大統領の演説にもよく練り込まれたメタファーが活用されていることが分かっています。[4][5]

  最初に、この手法の前提について書いておきます。この手法は心理療法家がクライアントの話を非常に注意深く聴き、クライアントを制限している認識の歪がどこにあるのか?といったことを特定した後、ここに働きかけることを意図して心理療法家が設計して作成する形式になります。この設計方法も相手の認識の歪に併せて、割りと厳密に行う必要がありますが、この話も長くなるので、このブログのテーマとしておいおい書いていこうと考えています。

 もっとも、後に心理療法家のリチャード・コップが開発した手法がこれとは逆にクライアントに自分でメタファーを考えてもらう形式の手法を開発するに至りますが[6]、大勢の聴衆を相手に演説を行うような場合は、今でも話し手が聴衆を想定してメタファーを設計、デリバーするような手法が取られます。

 次に、この手法について書いておきます。 基本的には相手の認識の歪に働きかけるメタファーを幾つか設計した後に、メタファー #(途中まで) メタファー #2(途中まで) メタファー #3 、メタファー#2 (続きから終わり) 、メタファー#1 (続きから終わり) というようにこの場合は3つのストーリを入れ子状にして話す手法が MEMになります。



Multiple Embedded Metaphors の例『八つ墓村』

 一つの例として、個人的に、神話のパターンとMEMを組み合わせたパターンで進行する映画としてパッと思いつくのが、横溝正史原作、野村芳太郎監督の『八つ墓村(1977)』です。[7]

 この構造について少し書いておくと、


メタファー #1 (戦国の昔、8人の落ち武者が村に住みつきそして殺害されるが、祟を起こして神として祀られるまで)

メタファー #2 (主人公の現代的な日常生活) 

メタファー #3 (主人公が殺人事件に巻き込まれ、村へ出向く羽目に、そして、出生の秘密を知り、この後起こる一連の殺人事件と出生の秘密が解決するまで) 

メタファー #2 (主人公が現代的な日常生活に戻る)

メタファー #3 (落ち武者の復讐が終わって丘から村を眺めているシーン)


 人によってどこで区分するのかという解釈の違いが出てくる可能性はありますが、原作をリファンすることで綺麗に MEM が適用されているケースだと考えています。

 MEMを簡単に言うと認識の深層構造に働きかけることが出来るということになるわけですが、これが上手く機能した場合は、認識が変化したり、聴衆により多くのインパクトを与えたり出来ることになると考えられます。

 尚、1977年に制作された『八つ墓村』は当時としてかなり額の多い199千万円の興行収入を上げた大ヒット作となっていることから、この一員として神話の構造+MEMの構造が何らかの要因となっていることが推測されます。

 さて、そのようなわけで聴衆にインパクトを与えたい演説やプレゼンテーションにMEMの構造を加えてみてはいかがでしょうか? ということが個人的にはここでの提案ということになります。

文献
記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com

0 件のコメント:

コメントを投稿