2011年10月29日土曜日

認識論の面白さ



知識とは「真理」かつ「信じていること」である。

プラトン


今日は、「認識論的な面白さ」というタイトルで少し書いておきましょう。

認識論とは何か?

Wikipedia の「認識論」の項目を参照すると古今東西の哲学者が取り組んだ、人は何をどのようなプロセスで認識しているのか? という疑問について書かれています。[1]

それでこの項目を参照すると、認識論とは、以下のような問に答えることだ、ということが書かれています。


人はどのようにして物事を正しく知ることができるのか。
人はどのようにして物事について誤った考え方を抱くのか。
ある考え方が正しいかどうかを確かめる方法があるか。
人間にとって不可知の領域はあるか。あるとしたら、どのような形で存在するのか。


もっとも、ここでは物事が正しいのか?というようにある意味主観的、社会的な判断基準が含まれているような書き方になっているわけですが、

一番目、二番目のように、ある出来事や事象を観察して主観的な視点から、何かを考えて、判断するような主観的経験自体を扱う場合と、

三番目の問のように、抽象度を一段引き上げて、その考えや判断自体を対象にして、そのプロセスがどのように行われているか?を観察することが含まれているという具合です。

ある出来事

何年か前に実家の近くの自治体のプロジェクトをやっていた関係で、休日に実家に戻った時のこと。

季節も5月でとても天気が良かったことから、折りたたみ式のシーカヤック、「エルズミア530」を持ちだして、近所の湖で練習しよう思ったわけです。[2] 
それで、折りたたんだ時の重さが30kg ほどあるのですが、これを車でこの湖に運んで練習しようと、その湖のほとりでカヤックを組み立てていた時にそのおじいさんはやってきたのでした、

「これは何ですか?」

「あぁ、カヤッ いや 船ですよ。」

「うそ、おっしゃい、こんなのが浮くわけないでしょう。」

「はぁ、(無視、無視)……

「大体、こんなのが浮いたら世の中ヒックリ変えるよ。」

「はぁ、(無視、無視、ひたすらカヤックを組み立てる).

おじいさん、組み立て作業をじっと見ている・・・・

沈黙おじいさんの独り言

「パイプを組んで、皮をかけて、空気を入れって. っと」「完成」

「それじゃ、」といって対岸に漕ぎ出す。

「こんなのが浮くわけないよ・・・」とブツブツ。

 カヤックは湖の中心へと滑り出しおじいさんの姿がどんどん小さくなる・・・・

知識→ 真理∩信念

さて、実は日常生活や仕事の場面で、このおじいさんのことを単純に笑えない場面というのは結構存在しています。

それは、プラトンが言うように私たちの知識となることは、真理∩信念、ということになるようだからです。


http://en.wikipedia.org/wiki/Epistemology

 とりあえず、ここでは真理とは事実から推論されて導かれた法則と考えましょう、例えば、上のおじいさんのように、事実としてはカヤックが水上に浮かんでいるということを観察することができても、信念として、こんなことがあるわけないと心から信じている場合、それは知識には成り得ない、

 逆の言い方をすると、事実から推論された真理に対して、心からそれを正しいとお腹で感じているような信念が重なりあってそれを初めて知識とすることができるというとても深いことに気づいてきます。

 もっとも、このおじいさんの場合は、自分にとって不思議なことを理解するために「自分にとって不可知の領域はあるか。あるとしたら、どのような形で存在するのか。」と言う問を立てて一旦自分の置かれている系(システム)からメタに出てメタ認知する必要があったのでしょうが、これは起こらなかったということになるのでしょう。 
 
文献
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