2011年12月4日日曜日

自分の信念を変化させる質問



我々は語ることができるより、多くのことを知ることができる。

マイケル・ポランニー


今日は、「自分の信念を変化させる質問」と題して少し書いておきましょう。

話の前提として

今日は、ちょっと阿呆らしいのですが、知覚(sensation)、情動(emotion)、感情(feeling)の違いを説明するための少し妙なメタファーから始めることにします。

女性のあなたは満員電車にのっています。

そうするとお尻のあたりに何かが当たっている感じがします。(sensation)

鞄か何かが当たっているのか?と思って振り返ってみると、スケベそうな親父があなたのお尻を触っているではありませんか!! あなたは、我を忘れて怒りがこみ上げてきました。「ふざけるな!!」( emotion)

 それで、あなたは、その親父の手を掴んで、次の駅に到着するなり、駅員にその親父をつきだしてやりました。

 あなたの、怒りは少し収まってきましたが、少し冷静に考えるとあそこまでしたのはちょっと可哀想かなとも思ったのでした。(feeling)

 ここで、なぜ、満員電車の痴漢の例なのか?という質問があるかもしれませんが、多少インパクトがある説明が欲しかった、という以外さしたる理由はありません。

さてエリクソンの論文などを読むと、知覚の感覚である Sensation 、認識された情報が扁桃核を通って喚起されるような激しい情動 Emotion 、それともうすこし穏やかな気持である Feeling というのが区別されています。 

 それで、基本的には、Sensationは五感の感覚で認識できる事実、あるいは将来起こりそうなことについて想起した時におこる知覚で得られそうな情報となるわけですし、Sensation Feeling については、現在持っているメンタル・モデルが関与した、理想-現実の差異から発生する現象と考えて良いでしょう。

信念を変えるための質問

それで、本題に入りたいと思います。


 上のリンクにも説明されている、自分を制限している信念を変えるための質問(もちろん、これだけで必ず変わるとは限らないと思いますが・・・)について少し考えてみましょう。

英語の質問は、


How would you know if it wasnt true ?  


で、これを少し意訳すれば、「もし、それ(その信念)が正しくないとしたら、それは(五感の知覚、あるいはそのプロセスとして)どのようにして分かりますか?

 とソリューション・フォーカスの例外探しのような質問となります。

  個人的には、これは非常にシンプルですが、非常に含蓄のある質問のように思えてきます。これを未来に起こるだろう出来事に適用すれば、少々大げさですが、Theory Uで言えば、現在囚われている制限から離れて、未来の可能性を知覚でプリセンシング(Presencing)する質問のひとつということも言えるでしょう。

  まず、話の前提として、ここで質問をされた相手は、思考の枠組みとして、何らかの制限された信念を持っており、それにより、情動(Emotion)、あるいは感情(Feeling)が存在し、これによりバイアスがかかり必要な情報に焦点が当てられていない状態にあり、その結果、何らかの行動が制限された状態にあると仮定しましょう。


  そこで、この質問の出番というわけですが、一番のポイントは、

How の質問をすることで、現在起こっている、ことを知る知覚(五感)に焦点を当てていることになります。これは、経験を純粋な五感情報に戻し、具体的にイメージしてもらい知覚に焦点を当ててもらうのがポイントです。つまり冒頭でご紹介したメタファーで言う Sensation に注意を当てる必要があります。

 これに対して情動(Emotion)や感情(Feeling)が邪魔をしてくることがありますが、気持が落ち着くのを待ってとにかく五感で得られる、あるいは将来得られるだろう情報に焦点を当てることが大切です。

つまり、この質問は、メンタル・モデルの差異から起こる、情動や感情の制限を受けない例外の行動(あるいはコンテクスト)の可能性に焦点を当てようとしていることになります。また、五感の情報に戻して本当にそれが可能かどうかを考えることが実現性の高さを担保しているような格好になっています。

それで、これが上手くいくと、例外の行動のいくつかを感覚を伴って具体的にイメージすることで、だんだんと、その信念は絶対的な信念ではないという感覚を持つことができるようになります。

それが、確信に変われば、メンタル・モデルの、ある信念は制限された信念ではない・・・という具合に変化すると考えられます。もちろん、ここでは新しい経験の一般化が必要だと思われますが、五感情報を言語などの抽象度を上げたデジタル情報で、その経験を再び信念として固めるような認識上のエンコードを行えば良いでしょう。

それで、上手くいけば、その信念は当該コンテクストにおいて制限的な信念ではなくなる。ということになります。

それで冒頭の電車の痴漢のメタファーに戻るのですが、もし、心を落ち着けて少しあたりを見回してみたらどうでしょうか? 実は別の事実があったというようなことが考えられるのかもしれません。もちろんこの話は、知覚⇔情動・感情が相互作用するを説明するための方便なんで痴漢を擁護するつもりはさらさらないですよ。(笑)

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