2011年12月28日水曜日

ロジカル・アティチュードと人類学者の観察



子供の頃は何も考えずに 一心不乱に 色々なことを観察していました。

独り言


今日は、「ロジカル・アティチュードと人類学者の観察」と題して少し書いておきましょう。

コンサルタントにはロジカル・アティチュードが必要か!?
 
ジェラルド・ワインバークという人の著作に「コンサルタントの秘密-技術アドバイスの人間学-共立出版」というのがあります。[1]本書の最初のほうに出てくる、推薦文 ―英語で言う「Forward」― を家族療法家のヴァージニア・サティアが書いていて、サティアのワークショップでも学んだ著者の家族療法に対する知見が至るところに生かされていて個人的には非常に好みの本です。

それで、本書はビジネス、特にIT系のコンサルタントについて書かれていますが、依頼主とのやり取りとの中で著者がどのような態度を取れば良いと思うに至ったのかが書かれていて非常に興味深いところがあります。


「だが私は、たいていのとき、その非合理に耐えられる範囲において、依頼主との直接のやりとりを楽しみにしてきた。私がこの業界にとどまるためには、選択の余地は次の二つしかないようにおもわれた。

1、        合理的であり続け、発狂する。
2、        非合理になって、気が狂った人と呼ばれる。 

 長年にわたって私は、この惨めな両極の間を行きつ戻りつしていた。だがついに私は第三の道があることに思い立った。それは、 

3,            非合理に対して合理的になること。 

 だった、一見非合理な行動に潜む合理性に関しての、私の発見を述べたものである。 



以下のリンクでも書いていますが、コンサルタントですら、自分のメンタル・モデルと大きく外れることが起こると情動、例えば、激しい怒りや失望などが起こってくると思考や行動にかかる認知バイアス[2]が増幅されるため、こうならないための態度がロジカル・アティチュードであると言っているようにも思えてきます。


それで、どのような非合理な状況が発生しても、達観した視座を取って合理的に考え、合理的に振る舞う重要性が強調されているということが興味深い点です。つまり、自分の周りがどんなに修羅場になっていても、達観して飄々(ひょうひょう)としているというのが著者のスタンスであり本書全般を通してこのスタンスが貫かれています。

もちろん、このように振る舞うには、一般意味論で言う「地図はそれが示す領土にあらず」ではないのですが、自分をメタ認知した視点から、いつも事実と解釈/意味の区別は付けておく必要があるのかもしれませんが、このことが、著者がサティアのワークショップで学んだことではないかとも思えてきます。
(参考)
http://ori-japan.blogspot.com/2011/10/blog-post_04.html
http://ori-japan.blogspot.com/2011/09/blog-post_30.html

ロジカル・シンキングは万能か?
 
それで、ロジカル・アティチュードの次は、ロジカル・シンキングについて少し考えてみることにしましょう。個人的にはロジカル・シンキングを行うための条件としてロジカル・アティチュードが存在すると考えています。

コンサルタントに限らず、ビジネスの場面では基本的にロジカル・シンキングを活用することが多いと思います。

ここでは、ロジカル・シンキングとは何らかの情報、特に言葉や文字による二次情報を入手した後、それを論理的なお作法に基づいて情報/記号の操作を行うこと、と少しスコープを狭く設定しています。

もちろん、ロジカル・シンキングには多くの利点があります、人並みの能力をもったビジネス・パーソンが、基本的には形式知化された二次情報を元に、それをインプットとして、お作法通りに情報処理を行うと、大体誰がやっても同じようなアウトプット、例えば、アイディアや行動計画などが出てくるという特徴があります。

しかし、最近面白いことにロジカル・シンキングの限界について指摘されているような本も多く登場してきています。同じインプットを使ってロジカル・シンキングで考えると大体、誰がやっても同じようなアウトプットが出てくるとなります。

それで、マイケル・ポータが言うように企業は他社と差別化を行う必要があるとすると、卓上で情報を処理してロジカル・シンキングを行なっているだけでは差別化要因を発見することは出来ないということになります。

 個人的にも経験がありますが、要件をまとめる時に既に形式知化された二次情報を中心に構成されたドキュメントを読んでこれからアウトプットを作成するだけと、だいたい誰がやっても似たようなアウトプットが出てきます。 
 
これから分かるのは、お作法通りにロジカル・シンキングを使える必要はありますが、これだけ出来ても、誰がやっても同じような結果が導けることが担保されているだけで、あっと驚くような新しいアイディアを伴った解決策を導くには十分ではないということを意味しています。

情報収集、処理の2つ方向性
 
それで、ロジカル・シンキングがいけないといっているわけではないのですが、ロジカル・シンキングを取りながらもプラスα (ジョブズの言うOne More Thing)の発想が必要なように思えてきます。

それで、
l       一つは情報のインプットに着目して、暗黙知や質感を伴う一次情報を入手する方法を考えること。情報の入口を広げる方法として、簡単に言うと現場で起きていること、起こりそうなことにとにかく観察すること。
l       もう一つは、途中の情報処理にロジカル・シンキング ― 帰納法「広げる」、演繹法「絞る」 ― に加えて「ひねり」を入れること、具体的には、アブダクション、物語、メタファーなどの思考を加えること。

前者は、とにかく現場に赴いて、お客さんや他の人と話すなど、文章やデータに載ってこないコンテクストを含むより深い質的情報を取得して、その情報を元にインプットを行えるように人類学者が異文化や風習を観察するようなエスノグラフィー[3]の手法を用いて観察してみることになります。
 
 もちろん、ここで「U理論」ではないですが、観察者自身の持っている既存のメンタル・モデルと現実の差異からやってくる、感情や情動自分自身との内部対話の声を止め、視座を変えつつ、観察者の思い込みや偏見で重要な情報をブロックしないように観察を行うということになるでしょう。


 個人的には、昔、仕事でお話ししたことのある多くの人が優秀と認める外国人のコンテクストが、現場を1週間ほどうろうろさせてもらってからその仕事を正式に受けるか受けないかを決めると言っていったのが印象に残っています。

 なんでも現場をうろうろしてそこに居る人と少し話したり、色々な工程を見終わったりした時には直感的な解決の方向性は決まっているのだとか・・・

 これに関して、現場に趣き、特定の目的があるわけではないけれども、現場の隅々を見まわってみるという経営手法は、MBWA (Management by Wondering Around)という概念で語られていることだと思います。[4]
 
 組織が成長するにつれて、本来、目的をもたず現場をうろうろする Wondering Around が目的をもった Walking Around に変わります。

そして、だんだんとそれ自体が目的化され、大名行列や裸の王様なっていき、最期は現場にも来ないようになって、ある日氣づくと組織が衰退し始めているというようなよくある話になってくるように思います。 

それで、経営者であるかどうかは問わず、誰でもロジカル・アティチュードを取って、現場に身を置いて、心を落ち着け、内部対話を止めて、自分自身の知覚で、何が起こっているのか? どのように起こっているのか?を人類学者になったつもりで、ただひたすら観察することから始めることはとても重要なことなのだなと再認識する今日この頃だったわけです。
 
さて、ここまでを簡単にまとめると、今日は、ロジカル・アティチュードとインプットされる情報について、観察の重要性ということについて少し書きました。

創造性を発揮するための別の切り口として、情報を入力した後に思考を「ひねる」ということも考えられるのですが、これはCS.パースの言う「アブダクション」あるいはメタファーや物語を使うことになりますが、今日は書ききれなかったのでまた別の機会に書くことにしたいと思います。

文献
[4]https://docs.google.com/viewer?url=http://www.adb.org/documents/information/knowledge-solutions/managing-by-walking-around.pdf 
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