2012年1月5日木曜日

絆(きづな)についての絆



「絆」という関係性は刻々と変化しているものなのでしょうねぇ。

独り言


今日は、「絆(きづな)についての絆」と題して少し書いておきましょう。

Pattern that connects
 
 昨年を漢字一文字で表すと「絆(きづな)」というある意味静的な「名詞」で表現された年だったのは記憶に新しいところです。

昨日、某首長さんのブログを見ていたところ、「このという言葉は、断つことのできない人と人との結びつき、という強いメッセージを持ち、私が知る限り、外国語ではありません」などと書かれていたわけですが。

 個人的にはちょっと待ったというところです。(笑) もちろん、同じレベルで真っ向から喧嘩を売ろうという意図があるわけではありません。

 それで、漢字一文字で表すというわけにはいかないのですが、人と人との絆に限らず、人と自然、生命と生命とのの解明を生涯のライフワークとしたのがグレゴリー・ベイトソンで、彼のエッセーを読むとこの概念が「Pattern that connects[1]として語られているということになります。

  • 絆は動的なパターン
 ベイトソンは人と人との、こころのつながりというようなところについて生涯考えたわけですが、非常に面白いことは、ベイトソンはこの絆を動的なパターンとして捉えていたということなのでしょう。


つまり、対象としての絆が存在しており、その対象に目を向けたとして、ベイトソンは「その絆は、いったいどのように結びついているのか?」と問うことになるわけです。

通常、何らかの関係性に対して「絆」のような静的なラベルを貼って変化しないものと考えてしまいがちなのですが、実際の「絆」は、結びついたり、結びが解けたりと終始変化しながら変化していくものであるということが分かってくるというわけです。

  • 絆は見るものと見られるものの関係性でも変化する
 また、このパターンは、どの抽象度から見るか?によってその振る舞いが変わってくるという性質があります。ベイトソンの生誕100周年を記念して出版された「Cybernetics And Human Knowing. Vol. 12,」の中に「Patterns That Connect Patterns That Connect」ということがあるわけですが、


 ここでは、「結ばれ合うパターンについてのパターン」つまりあえて言い換えると「絆についての絆」 のように抽象度を一段上げたところからそのパターンについて観察されており、ある意味、視座を変えることで新たなパターンが発見できることについて書かれているようにも思ってきます。


 つまり、ここではよりメタ認知を強めながら「その絆についての絆は、いったいどのように結びついているのか?」と問うことになるわけです。

 それで、以前も書いたのですが、ベイトソン史観はデカルト史観からのラディカルな転換を意味することにもなるわけですが、[2]

デカルト(近代科学)の世界観
ベイトソンの全体論の世界観
事実と価値は無関係。
事実と価値は不可分。
自然は外側から知られ、諸現象はそのコンテクストから取り出され、抽象化されて吟味される(実験)。
自然は我々との関係の中で明らかにされ、諸現象はコンテクストのなかでのみ知ることが出来る。(参加する者による観察)。
自然を意識的、経験的に支配することが目標。
無意識の精神が根源にある。叡智、美、優雅を目標とする。
抽象的、数学的な記述。数量化できることのみが現実。
抽象と具象とが混合した記述。量よりも質が第一。
精神は身体から、主体は客体から分離している。
精神/身体、主体/客体はいずれも同じひとつのプロセスのふたつの側面。
直線的時間、無限の進歩。原理的には現実を完璧に知り尽くすことができる。
循環的(システムの中の特定の変数のみを極大化することはできない)。原理的に現実の一部しか知ることは出来ない。
ABか」の理論。情感は生理現象に伴って二次的に生じる現象である。
ABも」の理論(弁証法)。情感は精緻な演算規則を持つ。
<原子論>
<全体論>
1.物体と運動のみが現実。
1.プロセス、形、関係がまず、はじめにある。
2.全体は部分の集合以上のものではない。
2.全体は部分以上になる特性を持つ。
3.生物体は原理的には非有機体に還元可能。自然は究極的には死んでいる。
3.生物体、もしくは<精神>は、構成要素に還元できない。自然は生きている。

 それで、「Understanding Gregory Bateson: mind, beauty, and the sacred earth
[3]の中に


The lager minds in which we are enfolded are not limited to collections of individual human mental processes.


「個々人の思いが集約されたより大きな思い」のようなことについて書かれているわけですが、絆というところに話を戻すと、自分の視点がどこにあるかは置いておくとして、一つ一つの絆が束ね合わさってより大きな絆になっていく様子をベイトソン史観で、観察して見てみると面白いのだろうなと考えている今日この頃でもあったわけです。

文献

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