2012年1月13日金曜日

集合論のクラス



頭の中で何をどのようにどの抽象度で分類しているか?は 卓越性を発揮する上では結構重要ですねぇ。

独り言


今日は、「集合論のクラス」と題して少し書いておきましょう。

クラスの概念

同じ言葉を耳にしても、人によってその概念をどう理解しているのか?は異なります。

例えば、「デフォルト」と聞いても、金融系の仕事をしている人は、これを「債務不履行」のことだと思い、IT系の仕事をしている人は、何も指定しないと自動的に設定される「規定値」と理解している、というような具合です。

また、人工知能の観点からすると、おそらくこの違いはそれぞれの人が持っている概念データベースである「オントロジー」が違うということになってしまうのでしょうが、哲学系の人が「オントロジー」と聞くと、「在り方」ねぇと解釈されてしまうのではじめに用語を定義しておく必要があるという具合です。

ここでは「クラス」という概念について話そうと思いますが、ここでは集合論の「クラス」[1]という意味でこの用語を使っています。

「クラス」とは、複数のある事物に対して、同じ性質や属性を持っているものを分類してできた集合のことを言います。

こういうと非常にかしこまった言い方になりますが、要は、いくつかの事物を分けると、野菜クラス動物クラスに分かれるというようなたわいもないことを言っているに過ぎません。

もちろん、この分け方はタクソノミー[1]のような共通の認識によってつくられた客観的な基準のようなものに基づいて分けられる方法と、

以下のリンクで書いた認知言語学のプロトタイプ、カテゴリー化の理論のように主観的な基準によって分けられる方法が考えられます。


ちなみに主観的な基準の場合のクラスは、外的な事物だけではなく自分の気持や主観的な認識も扱えることになります。 ほとんどの場合、ある事象をどのクラスに分類するは直観的かつ無意識に行われることになります。 

これに関して、昔の歌謡曲にあった、「友達以上恋人未満」などもこの集合論のクラス的に言えば、1)友達クラス 2)恋人クラス 以外に 3)友達以上恋人未満というクラスをつくって、ある人を無意識に 3)に分類しているということになります。 この場合、3)のクラスが無い場合は、1)2)のどちらに分類しようかと葛藤に苦しむようなことが考えられることになります。

また、余談ですが、心理療法のコンテクストで「高所」に対して「恐怖」を感じるというような場合、この認識主体は、ある状況を五感で認識して、無意識にその状況を「高所」というクラスに放り込み、その認識に対する「恐怖」という反応を引き出していると考えられます。

それで、短期療法の世界では、バートランド・ラッセル、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドの著作「プリンキピア・マテマティカ」にある論理階型を援用してベイトソンのマインドの理論を活用して、「高所」→「恐怖」という刺激反応の連鎖に対して、より抽象的な資源・資質を探すことで、「高所」という認識を変えるか、もしくは「高所」→「恐怖」の関係性を変化させる介入を行うことになります。

ITの世界のクラス

ここで少しITの世界のクラスについて書いておきましょう。以下のリンクにIT系(オブジェクト指向の点から)クラスについて非常に面白い議論が行われています。

 ttp://d.hatena.ne.jp/nowokay/20090308/1236502065

一般意味論的の「構造微分」で考えると、わたしたちは外的出来事を経験し、そして意識に上がってきた事物については、ラベリングを行い、そしてそのラベル、つまり言葉や記号を使って抽象的に推論を繰り返すことが知られています。

それで、上のリンクでは、具体的な経験からは切り離されて、すでに言葉や記号になった抽象的な概念をどう分類するのか、という視点からクラスについて語られています。

もちろん、一般的なオブジェクト指向では、実際に存在する事物を観察して、UMLなどのモデリング言語でモデルをつくって、コンピュータで動作するような( 1.識別子、2.属性 3.ここにアクセスするためのインタフェースを定義したオブジェクト指向で言う)クラスやクラス同士の関係性を定義していくことになります。

それで非常に抽象度の高い汎用性の高いクラスをつくることが出来れば、色々場面でそのクラスの再利用が出来るので、同じクラスをつくるにしても以下に抽象度を上げることが出来るのかが生産性を上げるポイントとなってくるように思います。

もっとも、このあたりを書き始めると何冊も本を書く必要があることになってくるので簡単に書いていますが、何れにしてもこういった分野では、何をどう分類してクラスをつくるか? 具体的に使われるインスタンスを頭に想い描きながらも、汎用性を上げるために抽象度を上げて考えるというような二律背反を禅問答的に解決して前に進むというのは非常に重要なことだと思ってきます。 
 
文献

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