2012年1月14日土曜日

エピステモロジー



「何かを見聞きして認識している」ことと「何かを見聞きしてどのように認識しているのかを認識している」ことは違うのですよねぇ。

 それで、コーチングはクライアントに後者の視点を持ってもらうことなのですが、この違いが理解できないとコーチングのコーチなんて出来ないのですけれどねぇ(笑)。

独り言


今日は、「エピステモロジー」と題して少し書いておきましょう。

エピステモロジーとは何か?

エピステモロジー(Epistemology )は日本語では認識論と翻訳されていることが多いのですが、簡単に言うと「誰かが何かを見聞きしてどのように認識しているのか?」その認識のやり方やプロセスについて焦点を当てた学問でもあり哲学でもあります。

エピステモロジーについて少し考えてみましょう。  

スタンフォードのオンライン哲学辞典[1]を紐解くと、このエピステモロジーについて以下のような定義が書かれています。  


Defined narrowly, epistemology is the study of knowledge and justified belief. As the study of knowledge, epistemology is concerned with the following questions: What are the necessary and sufficient conditions of knowledge? What are its sources? What is its structure, and what are its limits? As the study of justified belief, epistemology aims to answer questions such as: How we are to understand the concept of justification? What makes justified beliefs justified? Is justification internal or external to one's own mind? Understood more broadly, epistemology is about issues having to do with the creation and dissemination of knowledge in particular areas of inquiry.

 狭義の意味で、エピステモロジーは、知識かつ正当化された信念の研究である。知識の研究について、エピステモロジーは、以下のような質問を伴う。知識の必要条件と十分条件とは何か? 知識の源は何か? 知識の構造と制限とは何か? 正当化された信念についてエピステモロジーは以下のような質問に答えることを目的とする。正当化のコンセプトをどのように理解しているのか?正当化された信念をどのように正当化しているのか? 正当化は、ある人の心の内側もしくは外側にあるのか?  エピステモロジーを広義に理解するには、エピステモロジーは、特定の分野の照会における情報の生成と伝達に関する問題を扱うことである。 

  
これを読むと、わたしたちは五感を頼りに情報を取り入れ、表象を構築し、そして何をどのように認識して知識をしているのか? また、我々の信念と言うべき脳の中の情報フィルターがどのように形成されるのか? というようにそのプロセスがどのように機能しているのか?を取り扱う研究(あるいは学問)ということになるのでしょう。  

それで以下のリンクでも書いていますが、


 Knowledge = Truths Beliefs  つまり、知識は、事実かつ信じていること。ということになります。

つまり、相手にいくら事実を訴えても、相手が「そんなことが起こりえるはずはない」というような信念を持っているとそこで情報がフィルタリングされて知識にはならないということになってしまいます。

例えば、こんな話があります。このエピソードは確か、TOC(Theory of Constraints)の本のどこかに書いてあった話です。

1980年代、アメリカ自動車業界 BIG3のある会社の重役が日本の自動車会社の秘密を探ろうとして日本のある自動車会社の社長に工場を見せて欲しいと申し出ます。

その会社はその申し出を快諾し、その重役を工場へ案内します。

すると、その重役は日本の自動車会社の工場を見るなり激怒します。

「君たちは私を騙そうとして、ダミーの工場を見せているな!! だって、普通の自動車工場には必ずある在庫がまったくないじゃないか!! 冗談はこのくらいにして本当の工場を見せてくれないか?」

もちろん、在庫は期首ではバランスシート上に資産として計上されますが、決算が行われるととたんに負債となるためこの自動車会社の工場は、極力在庫を持たないという方針で運営されていたことが分かります。

ところがアメリカの自動車会社の重役は、在庫があるのは当たり前という信念を持っていたために、在庫がないという事実を受け入れることが出来なかったという話だったというわけです。

もっとも、この重役が「在庫があるのは当たり前」という信念に気付くためには、抽象度の高い、この信念の影響の及ばない視点に出て自分自身が「何をどう認識しているのか?」そのプロセス自体を対象に認識する必要があることが分かってきます。
 
文献
[1] http://plato.stanford.edu/entries/epistemology/



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