2012年1月9日月曜日

すべてを記憶する女



創造力を発揮するには記憶力より、色々な組合せを考えて情報の抽象度を上げ下げするプロセスのほうが重要かなぁ。

独り言


今日は、「すべてを記憶する女」と題して少し書いておきましょう。

凄い記憶力を持つことは、幸せなのか?
 
「ドラえもん」に、本や教科書をパンに写して食べると何でも記憶できるという「アンキパン」という道具が登場しますが、この道具が欲しいと思ったのは私だけではないでしょう。  

小学校や中学校の時に教科書を全て記憶することができれば、記憶力を試す類のテストでは確実に良い点を取れるでしょうし、大人になっても、資格試験を受けたり、語学学習でも少なからず役に発つでしょうから、多くの方は、「誰にも負けない記憶力が欲しいですか?」と聞かれれば、やはり「欲しいです。」とお答えになるでしょう。

それで、このようなことから推測すると、漠然とですが、「記憶力が優れていると成功する」とか「記憶力が優れていると幸せになれる」とか、少なくとも「記憶力が良いに越したことはない」というような信念・価値観が形づくられているように思ってきます。

 これを踏まえて、イギリスの Daily Telegraphで特集されている、14歳の時から、いつどこで、誰にあったか、何を食べたかなど、完全な記憶を保持している女性の特集が掲載されているので、この記事を読んでみると興味深い事実が分かります。


この記事によると、

l       完全な記憶力を持っているからと言って幸せだと感じるとは限らない、現実はむしろその逆。
l       忘れるということはむしろ歓迎される能力である。
l       おそらく物事の詳細を完全に記憶していると、人間のもっとも優れた能力である良い意味での、抽象化や一般化が困難な場合がある。

ということになってきます。

確かに、あまり記憶力が良いと主観的に「嫌だ」とか「辛い」という感情や情動を伴った経験をいつまでも克明に覚えていることになるわけでしょうし、忘れたいことが忘れられないというのも結構辛いことなのだろうなと思ってきます。

また、記憶力が良いということは変えたい習慣を変え難いということになってくるのかもしれません。

それで、極めつけは、非常に具体的な抽象度でいくつものことを覚えていると、経験に対して帰納的プロセス処理を行い、抽象度の高い汎化されたパターンを発見できない、というのはある意味盲点のようにも思ってきます。 これでは、要点とか本質を一言でお願いします、とか、まずは結論から、というような思考パターンが苦手になるのかもしれません。

それで逆に考えると普段、「物覚えが悪い」とか、「すぐ忘れる」ということも、状況によっては非常に良いこととして機能する、ということが面白いなと思ってきます。

もちろん、嫌なことが起こっても、すぐ忘れることが出来るわけですし、一々覚えておけないので、簡潔に言ったら何?みたいな発想になってくるのも決して悪いことではないということなのでしょう。

もちろん、これとは逆に起こったことを数分しか記憶できず、過去の記憶を蓄積できないというような映画「メメント」[1]の主人公のようなこともあるようなので、何事にも適切な度合いということがあるように思っています。

それにしても、幸せと記憶力の関係というのは、なかなか奥深いものがありますね。

文献

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