2012年2月29日水曜日

ミルトン・エリクソンの言語パターン(その1)その視点


 
まぁ、学問と言われる分野全般に当てはまることだけれど、説明するということは何らかのフレームワークを設定して、事実を観るそして、言葉で記述するという構造になっていて、そこでほとんどの暗黙知が消えてしまうのはある程度仕方がないのだろうなと。

独り言


今日は、「ミルトン・エリクソンの言語パターン(その1)その視点」と題して少し書いておきましょう。

 言語パターンを観る3つの視点

  個人的には、コーチングやファシリテーションで人や組織の認識や行動がどのように変化するのか?というのが一つのテーマです。

 それで、これを真面目に考えていくと認識論(Epistemology)というとこに行き着くことになります。


http://ori-japan.blogspot.jp/2012/01/blog-post_14.html


もちろん、認識論を遡るとアリストテレスとかプラトンの世界に突入することになるわけですが、これがコーチングやファシリテーションに使い勝手が良いのか?と言われるとそうなっていないので、もう少し柔らかで使い勝手が良いモデルを探すことになります。

 それで、個人的に気に入っているのがMRIを総本山とするベイトソンの認識論をベースにした短期療法のモデルということになってきます。

 短期療法のモデルは、心理療法家のミルトン・エリクソンが用いた心理療法のテクニックをいかに形式知化するのか?というのが一つのテーマになって発展してきたように思います。逆に言うと形式知化されているため、ある程度のレベルまでは容易に学習することができるということになってくるでしょう。

 もちろん、ナレッジ・マネジメントとして野中郁次郎先生のSECIモデルで考えると、暗黙知は暗黙知としてマスターするループと、その一部を形式知化し、そして形式知を連結しまた、暗黙知に戻していくという2つのループを同時に回必要があるため、単に何でも形式知化すれば良いというものではないように思ってきます。


http://ori-japan.blogspot.com/2011/12/blog-post_25.html

 それでも、暗黙知→形式知→形式知を連結→暗黙知のループを回すことは、新しい知識の創発につながってくるため、この形式知としての言葉に焦点を当てるということは悪い考えではないのだろうなとも思ってきます。

 それで、今日から少しダラダラとミルトン・エリクソンの言語パターンについて書いてみることにしたいと思います。

 もっとも、このテーマに踏み込んでしまうと、本当は富士山に登りたいのに、青木ケ原の樹海に迷い混んでしまった人のようにいつまでも迷路の中から出られない、といった状況が続く状態になってしまうかもしれませんが・・・。

さて、パロアルトにある短期療法の総本山 MRI(Mental Research Institute)で研究を行なっていたポール・ウォツラィックの著書「Pragmatics of Human Communication(人間コミュニケーションの語用論)[1]によれば、人のコミュニケーションを 1)統語論(シンタックス)2) 意味論 (セマンティクス) 3)語用論(プラグマティス)の視点から観ることを説いています。


ちなみに、このあたりの元々の概念は、以下で書いた一般意味論から持ち込まれていると考えられます。
http://ori-japan.blogspot.com/2011/09/blog-post.html


追記:一般的な言語学では語用論の代りに音韻学(Phonology)の切り口が用意されていますが、MRIでは少なくともエリクソンの研究のスコープからは外れており、音韻学上、単語の発音が曖昧かどうか?(Phonological Ambiguity )と、発話されている言葉のどこに句読点があるか?(Punctuation)の視点からだけ研究されていたと思います。

l       統語論から観る

 それで、これを実際に行おうとすると、1)の統語論については、チョムスキーの生成文法のようなシンタクスに焦点を当てて人のコミュニケーションを観察してみるというアプローチになります。 それで、このものさしを使ってミルトン・エリクソンのコミュニケーションのパターンを取り出した著作として「Patterns of Hypnotic Techniques of Milton Erickson, MD.[2]が知られています。



追記:本書は1970年代の半ばに出版された書籍であるための変形生成文法の世代は0世代、もしくは第一世代の古いものであるということは考慮する必要があります。この後、変形規則が収拾がつかなくなって現在、第三世代以降となっていると思われますが、個人的にはまだそこまでキャッチアップできていません。概要は以下のサイトを参照してください。


http://d.hatena.ne.jp/n_shuyo/20110424/grammar

 l       意味論から観る

 また、2 )意味論については、ジョージ・レイコフらの認知言語学を使い、認知の根幹にメタファーを据え、身体を持つ人がこのメタファーをどう解釈し意味を構築するのか?という視点で人のコミュニケーションを観察してみるというアプローチになります。 それで、このものさしを使ってミルトン・エリクソンのコミュニケーションのパターンを取り出した著作としては「Six Blind Elephants[3]があります。

 l       語用論から観る

 3)語用論については、実際そのコミュニケーションがどのような相手とどのようなコンテクストで行われているのか?特にサイバネティックス的な視点からのバーバルとノンバーバルコミュニケーションなコミュニケーションの相互作用、言い換えるとメッセージとその行間に含まれているメタ・メッセージのやり取りの視点で観察されていることになります。これに関する著作の代表は前出の「人間コミュニケーションの語用論」ということになります。もっとも、この視点はMRIにも在籍した人類学者のグレゴリー・ベイトソンがコミュニケーションとは何か?ということを観察するためにダブル・バインドの仮説とともに編み出した視点と言い換えることも出来るでしょう。

 もちろん、上で書いた3つの視点でミルトン・エリクソンの言語パターンを取り出して説明したところで、コージブスキーがその著作「科学と正気」の中で述べているように「地図はそれが示す領土と同じではない」の通り、エリクソンという暗黙知の塊である領土のほんの一部を形式知として示しただけの地図であることは留意する必要があります。

 ですから、ミルトン・エリクソンの言語パターンを取り出して、その本質を理解せずについて活用するとやはり言葉だけが上滑りして、本来の目的どおりには機能しないことになります。

 (つづく)

文献
[3] http://www.amazon.co.jp/dp/0911226419/

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