2012年3月14日水曜日

ミルトン・エリクソンの言語パターン(その10)遷移の言葉6



事実に基づいたレポートを書くのは得意なほうだと思うのですが、文豪のような文学表現は結構苦手だなと思います。(笑)

独り言


今日は、「ミルトン・エリクソンの言語パターン(その10)遷移の言葉6」と題して少し書いておきましょう。

 文豪と凡人を別けるもの

 昨日書いた『ベティ・エリクソンの自己催眠』とも関連するのですが、昨日の図の三角形と三角形が接する、つまり対象が外にある知覚→対象が内にある知覚へと遷移するパターン(一次経験から二次経験に移るところ)について説明しておきましょう。

 以下の表にすべての知覚の組合せについて書いていますが、一般的には、この部分は、(厳密には言語が関係してきますが)事実からの推論と言われているところです。



表2 対象が外にある知覚→対象が内にある知覚、それぞれの遷移


Vi
Ki
Ati
Oi
Ve
1.V Vi
2 .V Ki
3. V Ati
4. V Oi
Ke
5.K Vi
6.K Ki
7.K Ati
8.K Oi
Ate
9.At Vi
10.At Ki
11.At Ati
12.At Oi
Oe
13.O Vi
14.O Ki
15.O Ati
16.O Oi

この表は、縦軸のVe(対象が外にある視覚)Ke(対象が外にある体感覚)Ate(対象が外にある聴覚、アナログ感覚) Oe(対象が外にある味覚、嗅覚)が横軸に先行して認識される知覚、そして横軸が(対象が内にある視覚)Ki(対象が内にある体感覚)Ati(対象がにある聴覚、アナログ感覚) Oi(対象が内にある味覚、嗅覚)それに続いて、同期もしくは後に遷移する知覚として表されています。

 推論の場合は、事実に基づいた推論を行うことが重要なのですが、人はおそらくその時の状況によって、事実に基づかない推論を始めてしまうことも理解できてくるでしょう。もちろん、今回は、事実に基づかない推論のパターンについて漱石を取り上げていますが、主人公の主観や世界観を表現するのもこの部分というわけです。

 もっとも反対に考えると、対象が外にある知覚→対象が中にある知覚を使って、心象地図をどれだけ巧みに表現できるかが文豪と私のような凡人の違いと考えることが出来るように思ってきます。

l       変奏曲#1

 例えば、 9.Ate Vi について考えてみましょう。

この場合、自分の外に聞こえてくる音から、自分のココロの中にイメージを想起するような場合です。但し、ここでは小説の主人公の視点からの経験について考えることにします。

夏目漱石の小説『それから』[1]の冒頭ですが、以下のような表現があります。


誰かが慌たゞしく門前を馳けて行く足音がした時、大助の頭の中には、大きな俎下駄が空から、ぶら下つてゐた。

けれども、その俎下駄は、足音の遠退くに従つて、すうと頭から抜け出して消えて仕舞つた。さうして眼が覚めた。


これは、9.Ate Vi つまり、外にある音から、頭の中にイメージを想起しているというパターンを2回繰り返したような形式になっています。

もちろん、この文章の面白いところは、足音から、現実的なその場面を想起しているのではなく、ある意味メタファーのようなイメージが想起されていると言う点でしょう。

  もちろん、この音とイメージには直接の因果関係は存在しませんが、足音がフェードアウトするのに連動して、このイメージもフェードアウトしているような描写になっており、更にそれが夢であることを示唆することにより、主人公が経験した体験が、まるで映画の中で起こっているような、「~ というお話だったのさ」というような形式の以下で書いたメタ発言のようになっています。


l       変奏曲#2

次に、5.Ke Viのパターンについて考えてみましょう。

以下も漱石の『それから』の引用です。


ぼんやりして、少時、赤ん坊の頭程もある大きな花の色を見詰めてゐた彼は、急に思ひ出した様に、寐ながら胸の上に手を当てゝ、又心臓の鼓動を検し始めた。寐ながら胸の脈を聴いて見るのは彼の近来の癖になつてゐる。動悸は相変らず落ち付いて確に打つてゐた。彼は胸に手を当てた儘、此鼓動の下に、温かい紅の血潮の緩く流れる様を想像して見た。是が命であると考へた。


 最初は事実の描写になっていますが、太線の「彼は胸に~」の部分を考えると、5.Ke Vi のパターンになっています。つまり、事実として存在する鼓動を認識し、その後、あたまの中に紅の血潮が緩く流れる様子を想像しているという具合です。

 血潮が流れる様子は当然、想像であり事実ではありませんが、これを強くイメージし、それがまさに命であるという、ある意味抽象度を上げたメタファーが主人公の世界観を表現しているような形式になっています。

l       変奏曲#3

 さて、個人的にはお爺さんになるまでには歴史小説の1つでも書きたいなと思っているのですが、今日はその全段階として文豪に挑戦してみることにしましょう。もちろん、個人的には方法論オタクを自称しており、何らかの方法論に頼ってみたくなるわけですが、今日は上の表の15.Oe Ati に沿って、少し文章を書いてみることにします。


春も近い三月の初旬、近所の河原を足取りも軽く散策していた時のことである。

桜の木は既に花を咲かせる準備を始めているようだが、まだ暫く時間がかかりそうな様子だ。桜の植えられている河原に春の気配を感じてはいるのだが、実際目にする景色にはかなり殺風景さを感じているのだ。

ゆっくり歩いていると花を控えめに咲かせた梅の花が視界に入った。梅の香りが漂ってきた。梅の香りに吸い込まれたかと思うと、突然、頭の中に甲高い、リズムに乗った横笛の音が聞こえてきたのだった。


この文章は、文豪には程遠いのですが、事実から推論を行い、主人公の内面を表現するという意味では非常に面白いパターンのように思ってきます。


余談ですが、催眠療法家のミルトン・エリクソンが使ったメタファーもクライアントの知覚が意図したとおりに動かないと意味がないのですが、日本にはこのあたりの本質的なことがあまり伝わっていないのもある意味面白いところなのでしょう。それにしても、知覚の遷移の部分は、人間の本質の部分なので、日本語でも英語でも、おそらくその他の言語でも共通である、というのは面白い発見ですね。

文献

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