2012年3月25日日曜日

ミルトン・エリクソンの言語パターン(その19)間



間(ま)のとり方というのは奥が深いですねぇ。

独り言


今日は、「ミルトン・エリクソンの言語パターン(その19)間.」について書いておきましょう。

エリクソンの間のとり方

 ミルトン・エリクソンの言語パターンというお題で書き始めると、とにかく書くことが色々あります。 

もっとも、エリクソンが使っていた文字通り「言語パターン」ではあるのですが、制限から書いておくと、書いた文章として説明している時点でエリクソンの形式知はそのほとんどが喪失していまっているため、エリクソンの本質はやはり本や文章からだけで学ぶことはできない、という制限は認識しておく必要があるでしょう。

逆に、有効な点は、1)統語論 2)意味論 3)語用論などの枠組みから観察して取り出された言語パターンが目的地につくまでの道案内をしてくれる「地図」の一つとしては活用できるということだと思います。

例えば、以下のリンクで書いたような意味論の一形態としての一般意味論の視点、(現在であれば認知言語学の視点のほうが良いのかもしれませんが)から言語パターンを観察してみることはまったくの無駄にはならないというわけです。


それで、今日は間(ま)ということについて書いておきますが、実際のコミュニケーションにおいて間のとり方というのは非常に難しくもあり奥深いものでもあると思います。

以下のリンクで書いたMRIのポール・ウォツラウィックが提唱した「コミュニケーションの5つの公理」がありますが、


この中に、「人はコミュニケーションしないでいることはできない。One cannot not communicate.」があります。

この解釈にも色々あると思うわけですが、例えば、会議に出て、発言をしない、つまり沈黙を守る、というような行為についても、この状況とあいまって、例えば、「発言しないのは、何か不都合な事実を隠すためである」というように参加者に何か特別の意味を伝えてしまうということがあるわけです。 言い換えると、当然解釈は、主体と相手と状況の相互作用の中で解釈されることになりますが、この場合、主体は「沈黙」というメタ・メッセージを送っていることになるでしょう。

もちろん、一対一のコミュニケーションにおいても、相手の話を遮るというのも、この行為自体が何かのメタ・メッセージを発信し、相手は、これを自分と相手の相互作用や状況と照らし合わせ、何らかの「意味」を見つけるということになると思います。

もちろん、エリクソンの場合は、相手が当たり前だと思っているパターンを変えるためにわざと話を遮ることもあるでしょうし、一字一句を丁寧に聞くということもあるので、単なる常識や礼儀作法という点から見ていてもまったく見えない点があるということは頭に入れておいたほうが良いのだと思います。

さて、エリクソンの間について考えるにはやはり Youtubeにアップロードされている映像を参照してみるというのは一番早道のような気もしてくるわけです。

  
 それで、個人的にはこのような映像を視聴する場合、以下のリンクで書いた、マクロのパターンである戦略がどうなのか?


というところや、今回書いている、よりミクロの言語パターンがどうなのか?

また、仮に言葉が分からなくてもその場の雰囲気や表情などから読み取れるところは何か? 
 というようにやはり多水準(Multi Levels)で行われるコミュニケーションのやり取りを観察しているように思います。

文献
N/A

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com


0 件のコメント:

コメントを投稿