2012年4月15日日曜日

ミルトン・エリクソンの言語パターン(その28)否定文



 同じ言葉でも、事実の否定と意味の否定は分けて考える必要があるのだろうなぁと思うわけ。

 もっとも、否定するには否定されていない状態が表象されているというのが色々なことをややこしくしているのだろうけれど。

 独り言


今日は、「ミルトン・エリクソンの言語パターン(その28)否定文」について書いておきましょう。

否定文が否定的意味を持つとは限らない

 ミルトン・エリクソンの用いた言語パターンは非常に奥深いものがあるわけですが、文字通り「否定文」の使い方が巧みだったのもその特徴です。

 例えば、日本語でも「やぶさかではない」というような言葉があります。

これは仕事をお願いした時に「◯◯するのはやぶさかではない、ただし△△してもらう必要がありますねぇ。」というようなニュアンスで使われることが多いのですが、要は、条件さえ整えばやってもいいですよとか、簡単にそれをやるわけにはいきませんねぇというようなある意味その場のコンテクストとあいまって何となく複雑で含みのある条件付き Yes を伝えているというような格好になっていることがあります。

エリクソンの否定文も色々なメタ・メッセージを含んだ形式で使われることが多いわけですが、これについて考えてみましょう。

否定文の形式について考えると一般的には、be動詞の後にnotを付ける、動詞の前に否定語を付けるということで表現されます。

これを、コージブスキーの提唱した「地図はそれが示す領土にあらず」というような一般意味論の原則に照らして考えてみると、基本的に「地図である言葉」が否定されていることになるわけですが、重要な点は、地図が否定されたからといって「実体を示す領土」あるいは「言葉に対応している意味」が否定されていることとは等価ではないという点でしょう。

 以下のリンクでも書きましたが否定文を使う時に原則は、「否定文は言葉の中にのみ存在し、経験の中には存在しない。」です。


もっとも、ここで重要なことは否定されていない状態の経験は表象されているというところがややこしいところなのでしょう。

 もちろん、エリクソンはこれを良い意味で活用しているわけですし、これが分からないと単なるポジティブ馬鹿みたいなことになってしまうため、非常に奥が深いところでもあるとおもいます。

(つづく)

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