2012年4月25日水曜日

ミルトン・エリクソンの言語パターン(その30)曖昧さ:句読点、句読



 理屈で考えると無理なんだけれど、実際に行動してみると案外簡単だったということが結構あります。 理屈では無理だと考える思考様式は、今までの経験から学んだ常識だったりするわけなのだけれど、革新的なことをやろうとすると必ず邪魔をしてくるように思ってきます・・・・もっとも、こんな場合「Here and Now」の純粋経験に戻って枠組みをすり抜けるか? 二項対立を利用することで枠組み自体に気づいてこれをリフレーミングするか?など色々やり方はあるのでしょうが・・・
 
独り言


今日は、「ミルトン・エリクソンの言語パターン(その30)曖昧さ:句読点、句読」について書いておきましょう。

どこに句読点があるかで違ってくる意味

 曖昧さ(Ambiguity)の4つめは句読点、句読(Punctuation)の曖昧さです。これは、話言葉としてどこに句読点を入れて読むのかで同じ表層構造に対して複数の深層構造、つまり意味が現れてくるというケースです。[1]

 例えば、以下のような文があります。


"A pocket full of change the way you are sitting.

A pocket full of change. つり銭でいっぱいのポケット。
Change the way you are sitting. 坐り方を変えなさい。


上の文は、「つり銭でいっぱいのポケット」と「坐り方を変えない」の2つの表層構造に分解することができるわけですが、実際にはこれを聞いたクライアントの頭の中では「一体何が言いたいのだ?」というような混乱が起こり、「坐り方を変えなさい」というような命令がクリティカルな思考をすり抜けて伝えられていると考えられます。

次の例を考えてみましょう。


"When you go to the store your new learnings for another day

 When you go to the store . その店に行った時。
Store your new lernings for another day. 新たな日のために新しい学びを記憶しておきなさい。
たくわえておきないr new lernings for another day.

上の例も文章だけを考えると多少意味不明な文章です。おそらく聞き手の頭の中では、「エリクソンは一体何を言っているのだ?」ということになると思うわけですが、実際にはこの混乱に乗じてクライアントのクリティカルな思考をすり抜け「新たな日のために新しい学びを記憶しておきない」が伝えられることになります。


 もっとも、これをあえて日本語にすると、「その手は桑名の焼きハマグリ」とか「あたり前田のクラッカー」とか「おそれ入谷の鬼子母神」(個人的には、「おそれ、イリヤのブリコジン」のほうが好きかなぁ(笑))のセラピューティックな使い方となってくるでしょう。

 それで、このような文章を考えると、聞き手は心のなかで「一体どっちなのだろうか?」「一体何が言いたいのだろうか?」とちょっとした二項対立の状態を起こしているように思えるわけですが、スティーブン・ギリガン博士編纂の「The Legacy of Milton H. Erickson: Selected Papers of Stephen Gilligan[2]p.20あたりを読むと、ちょっとした二項対立はまさに禅問答であり、これが解決策を探るために利用できる変性意識を引き起こす要因になる、ということが書かれているのを読むと非常に納得してくるということになります。

(つづく)

文献

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