2012年4月28日土曜日

ミルトン・エリクソンの言語パターン(その30)曖昧さ:文の構造と構成の構造



 文の最後まで聞かないと結論が分からない日本語というのは、基本的にエリクソンが使う催眠言語と同じように、相手に推論を促すような機能を内在しているのではないかと考えています。

 もっとも、催眠言語のような言葉、故に、メタ・メッセージが重視される高コンテクストの文化になるのか? 高コンテクストの文化だから催眠言語のような話し方になるのか?は分かりませんが。

 何れにしても、日本語というのはエリクソンが使う催眠言語の一種だと個人的には考えています。(笑)

独り言


今日は、「ミルトン・エリクソンの言語パターン(その30)曖昧さ:文の構造と構成の構造」について書いておきましょう。

日本語にまつわる曖昧さ

 曖昧さで書き忘れたことがあるので、テーマを巻き戻して、ここで2点書いておきます。

このあたりはエリクソン関係の英語の文献を読んでも書いていないことなのですが、個人的に考えている日本語にまつわる曖昧さについて書いておきましょう。

l     結論が文の最後に来る日本語の曖昧さ

一つ目は、普通に日本語を話していると結論が文の最後に来るような話し方をしているという点です。

人の知覚や認知はある程度並列処理を行うことができますが、身の回りで起こっている現象を記述したり、自分の頭に存在する概念を話したり、ということになると、当然、「言葉」を使うことになるわけです。それで、この言葉を使い始めると人の知覚や認知がシーケンシャル、つまり直列の処理になってしまうという特徴があるように思います。

 それで、言葉を順繰り処理する直列モードに入ってしまうと、結論が最初にこない日本語はある意味曖昧さを含むことになり、それを推論するモード、つまり以下のリンクで書いた「Transderivational search」のモードに入ってしまうのだろうなと個人的には考えているわけです。


例えば、以下のような例を考えてみましょう。


確かに、あなたのご意見にも同意するところは多いのですが、早急に結論を出すというのではなく、そのご意見を十分検討させていただいた上で、双方十分納得した上で決めるようにしてはどうかと思う次第でございます・・・・・・



おそらく英語だと、文の最初に二分法的な判断として、「Yes」、「No」が来るなり、具体的にどの部分に賛成、どの部分に反対といった答えが返ってくるでしょう。もちろん、日本語の場合は、上の例のように一見、何を言いたいのか?というモードになるのが普通のように思ってきます。

もちろん、私の言いたいことは英語と日本語を比べた時にどちらが良いという話ではなく、日本語の場合は、文化的な背景とあいまって、良い意味でも悪い意味でも曖昧になる場合が多い、また仮に「Yes」という答えでも、結論が最後に来ることが多いため、その間に相手が推論することになるため、エリクソンの用いた催眠言語のパターンに似た構造になると、個人的には思ってきます。

そう考えると普通に日本語を使っている場合、結論は最後まで聞かないと分からないわけですし、主語が省略されて主客は曖昧にされているわけですし、ミルトン・エリクソンの言語パターンのように、日本語を使っている人、なにかしら軽いトランス状態にあるわけで、極端な話、1億3000万人の日本国民は、知らない間にエリクソン催眠をマスターしていて、日常生活や仕事の場面で活用していると思ってくるわけです。

l       複数の文をつないで説明する時、結論が最後にくる曖昧さ

 もう一つ、はもう少しマクロなパターンで、複数の文章をつないだ場合の構造どうなっているか?です。 

 以下のリンクで、いくつかの文章をつないで何かを説明する場合に、ピラミッド構造にして結論を先に、そしてその理由を帰納法、もしくは演繹法で書くと相手をあれこれ推論させることなく要旨を完結に説明することができると書きました。


 最近は、日本でもこういったロジカル・シンキングの概念が欧米から入ってきて、結論を最後に言うのではなくて、結論から先に話す方法も広がってきたように思います。

 もちろん、逆の言い方をすると、結論を先に言わずに、事実やデータだけを述べて「これは何を意味しているのでしょうか?」と言えば文字通り相手に推論をさせるような形式になるわけですが、プレゼンテーションとしては最後まで聞かないと結論が分からないという曖昧さを含むということになってきます。

 もちろん、小説などの場合は、ピラミッドに書くとまとまり過ぎていてまったく面白くないため、できるだけ推論させて結論を先送りするような形式のほうが良いでしょう。

 それで、ここでの趣旨は結論を先に言うのが良いのか?結論を先送りするのが良いのか?という単純な二元論に陥るのが目的ではないのは言うまでもありません。

 要は、相手に覚醒してもらって何か重要なことを伝える場合は、結論から先に言えば良いし、これだけだと相手が違う意見を持っていたり、あるいは反発してきたり、することも予想されるために、この場合は、エリクソンが使った言語パターンのように結論を先送りするような形式で、相手と認識をすり合わせるために、物事をあえて曖昧にして伝えるようにすれば良いのだろうなと思ってくるわけです。


(つづく)

文献

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