2012年4月18日水曜日

ミルトン・エリクソンの言語パターン(その28)否定文:Not Knowing Not Doing



 「それが分からない」といった場合に、対象自体が良くわからないのか? 対象としている状態になるためのプロセスがよくわからない? ではまったく意味が違ってくるように思ってきます。

 独り言


今日は、「ミルトン・エリクソンの言語パターン(その28)否定文:Not Knowing Not Doing」について書いておきましょう。

エリクソニアンの七不思議

 Not Knowing Not Doing は、ロッシ&エリクソンの「Hypnotic Realities [1]で紹介されている老子の無為のようでもあり、禅問答の無知の知のようでもありエリクソニアンの合言葉のようでもある不思議な概念です。


http://ori-japan.blogspot.jp/2011/11/blog-post_09.html

 Not Knowing Not Doing は、やる/やらない、とかできる/できない、の単純な二元論で説明できないところが非常に不思議なところなのでしょう。

 文字通り解釈すると Not Knowing は、知るというプロセスを知らないということであり、SECIモデルの暗黙知→暗黙知[2]の学習のように、意識して何かを記憶しようと意識したわけではないのですが、いつの間にかその知識を得ているということになるでしょう。

 また、Not Doing は、何かを行うプロセスを知らないけれども、意識して何かをしようとしたわけではないのですが、いつの間にかその行為ができるようになっているということになるでしょう。

 自転車に乗るのも、逆上がりをするのも、はたまた英語を喋るのも、確かに練習をしたという記憶があるわけですが、いつの間にかそれができるようになっている、オートポイエシス的に言うと、いつの間にかそれができる自己になっているというところが非常に面白いところでもあるように思います。

 まさにエリクソンの、人は知らないうちに、暗黙知を暗黙知として学習する能力、つまり知らないことを知るという能力や、できないことができるようになる能力を持っているので、自我や意識にこだわるよりも、無意識を信頼しなさいと言っているようにも思ってくるわけです。

 それにしても Not Knowing Not Doing は深いので簡単には書ききれないですねぇ。 

(つづく)

文献

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