2012年4月8日日曜日

番外編 Self-Relations



 夏目漱石の草枕のように知・情・意が相反しているというのは、色々悩みが多いということなのかもしれませんが、この知・情・意をもっと高い次元で統合できると、そのパラダイムから抜けだして新しい次元の境地を築くことができるように思ってきます。
 
 独り言


今日は、言語パターンを中休みして、個人的にふと思いついた、「番外編 Self-Relations」について書いておきましょう。

2つの関係性

 ベイトソニアンであれば、関係性と言えばすぐに思い出すのが、「A Pattern that Connects(結ばれ合うパターン)という言葉であり、ベイトソンのライフワークである、それぞれの生き物がどのようなプロセス、あるいはパターンで結びついているのか?というところです。

 
 それで、ベイトソンがミルトン・エリクソンのコミュニケーションのやり方を観察した場合、どのようなパターンを取り出してきたのか?を考えると基本的には 1) その人の中のつながり (Intrapersonal) 2)対人間のつながり(Interpersonal)の2つのコミュニケーションで見ることになるわけです。[1]

 このあたりは、エリクソニアンであるスティーブン・ギリガン博士の著作「The Courage to Love 」の表紙にある挿絵を見ると分かってくるわけですが、


人の中の意識・無意識の関係性、意識・無意識を持つ人と人との関係性に着目する Self-Relations[2]の本質がここにあると思ってくるわけです。

 もちろん、ここにはベイトソンがエリクソンらの観察を行う上で導かれた意識・無意識の関係性、


 
意識(言語/記号)による思考
無意識(五感・気持・情動)の知覚
 形式知
暗黙知
 同時に意識できる要素は7±2の制限
全体をひとつとして感じる
全体ではなく部分だけを見る(中心視野)
部分ではなく全体を見る(周辺視野)
対象の実体を見る
対象の関係性を観る
コンテクストとは切り離された客観的知識
コンテクストに応じた実践的知識
(デジタルな)量を考える
(アナログな)質を感じる
静的な要素の構造を見る
動的なプロセスを観る
物事のコンテンツを見る
物事の冗長性を含むパターンを観る
ロジカル・シンキング/クリティカル・シンキング
直観、直感的アブダクション
集中
分散
現実的
比喩的
線形・因果的
非線型、創発的
言語的
非言語的
頭で考える
身体・場を感じる
目的指向・単一的な価値
非目的指向・多値的な価値

そして、そもそも論として「我思う故に我あり」というように意識での思考=自己であり、その自己が世界と関わっているというデカルトのパラダイムのちゃぶ台をひっくり返してしまったベイトソンの世界観が現れてくることになります。


デカルト(近代科学)の世界観
ベイトソンの全体論の世界観
事実と価値は無関係。
事実と価値は不可分。
自然は外側から知られ、諸現象はそのコンテクストから取り出され、抽象化されて吟味される(実験)。
自然は我々との関係の中で明らかにされ、諸現象はコンテクストのなかでのみ知ることが出来る。(参加する者による観察)。
自然を意識的、経験的に支配することが目標。
無意識の精神が根源にある。叡智、美、優雅を目標とする。
抽象的、数学的な記述。数量化できることのみが現実。
抽象と具象とが混合した記述。量よりも質が第一。
精神は身体から、主体は客体から分離している。
精神/身体、主体/客体はいずれも同じひとつのプロセスのふたつの側面。
直線的時間、無限の進歩。原理的には現実を完璧に知り尽くすことができる。
循環的(システムの中の特定の変数のみを極大化することはできない)。原理的に現実の一部しか知ることは出来ない。
ABか」の理論。情感は生理現象に伴って二次的に生じる現象である。
ABも」の理論(弁証法)。情感は精緻な演算規則を持つ。
<原子論>
<全体論>
1.物体と運動のみが現実。
1.プロセス、形、関係がまず、はじめにある。
2.全体は部分の集合以上のものではない。
2.全体は部分以上になる特性を持つ。
3.生物体は原理的には非有機体に還元可能。自然は究極的には死んでいる。
3.生物体、もしくは<精神>は、構成要素に還元できない。自然は生きている。
 
もっとも、ベイトソンやエリクソンの世界観は構成主義的な世界観で、「世界の投影としての自己」そして「自己の投影としての世界」の2つの世界の循環を考えるような、東洋では仏教的な世界観のように思えてくるわけです。

これは、上で紹介したギリガン博士編集の「Walking in two Worlds[3]がまさにこの2つの世界の循環(内的世界:感覚、記憶、夢、外的世界:行動、社会とのつながり)をどのように考えるがメインのテーマとなっているわけですが、この論文集を読み込んでみると、意識・無意識や自己と他者のような二項対立を単に二項対立でだけで終わらせず、パターンを超えるパターン、カタを超えるカタを模索し続けるエリクソンやベイトソンの深遠さが分かってくるわけです。

(つづく)

文献
[3] http://www.amazon.co.jp/dp/1932462112/


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