2012年5月3日木曜日

エリクソニアンの定義?



スタイルが似ているからといってエリクソニアンというわけではない、スタイルが似ていないからといってエリクソニアンではないというわけではない。

独り言


今日は、「エリクソニアンの定義?」について書いておきましょう。

似ているようで似ていない

 昨年末、アリゾナ州のフェニックスで行われたエリクソン国際会議のデモ・セッション映像のプレビューが Youtubeで公開されています。




 この映像では、エリクソン派を代表する重鎮先生方のデモがオムニバスとしてまとめられているわけで、ほんの10分たらずの映像にも関わらず非常に面白いことに気がつきます。

 この前提としてエリクソニアンの間で共有されている「すべてのクライアントはユニークでその人独自の療法を必要としている」です。


 ということは、その支援を行う療法家もユニークであり、それぞれ独自のやり方があってしかるべき・・・という結論になってくるわけです。

 それで、この映像を視聴すると、トランスインダクションをやっているのは、スティーブン・ギリガン博士くらいのもので、ジェフリー・ザイク博士はクライアントの話を神妙に聞き入り、マイケル・ヤプコ博士はもう少し中立的にクライアントと距離を取り、ビル・オハンロンさんはテレビのトークショーのようにクライアント語りかけ、スティーブ・アンドレアスさんは長年の友人のようにクライアントの話を聴き・・・・と、とりあえずステージに用意された安楽椅子は使っているものの、文字通りスタイルは千差万別というわけです。
 
 そう考えるとエリクソン派の心理療法家を表す「エリクソニアン」はどういう条件を満たす人たちの総称なのだろうか? と考えるとますます、わけがわからなくなってくるというわけです。

 もちろん、単にエリクソンの表面的な技法を真似たからエリクソニアンと言えるのか?というと当然 NO.というわけでしょうし、表面上は似ていないけれども、エリクソニアンなのか?と言われると Yes.という人もいるわけで、実は構成主義的にエリクソニアンとは何か?という条件を考え続けること自体がエリクソニアンになり行く(Becoming)ための条件なのかなと思っている今日この頃でもあったわけです。


(つづく)

文献
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