2012年5月12日土曜日

ベイトソンの二重記述/多重記述



世の中そんなに単純な二元論で割り切れるものではないので、ポジティブ・シンキングって個人的にはあほらしいと思っているのだけれど、視点の抽象度を上げながら、何をもってポジティブなの?とその判断基準になる思考の枠組みやコンテクストを調べていくと面白いことが分かってくることが多いですねぇ。(笑)

独り言


今日は、「ベイトソンの二重記述/多重記述」について書いておきましょう。

行為は認知であり、認識は行為である

  最初に、情報の定義について考えるとベイトソンの「A difference that makes a difference.」つまり、2つの要素の違いから生じる1つの差異になり、これが1ビットということになるわけです。

 もちろん、ベイトソンの「A difference .」は、差異から生まれた情報からさらに連鎖的に情報が生まれる複雑系に対する含みも持っているように思います。


それで、多少いまさらながらの感はあるのですが、これに関してベイトソンが物事を観察し、それを記述するやり方として「二重記述(あるいは多重記述)」ということがあります。

これは問題や課題の解決に役に立つ場合が多いのですが、簡単に言ってしまうと少なくともその問題や課題を2つの視座から観察し、そして記述しなさいという概念です。

それで以下の書きかけの論文が面白いなと思ったわけですが、

 
二重記述を行う前提として、ベイトソンが、グノーシス派の哲学を引いて、世の中にある事物を非生物のプレローマと生物であるクレアトゥーラに分け、そしてこのクレアトゥーラの結ばれあうパターン(The pattern that connects)を定義し、
 さらに、カニならカニの中に見出されるパターンを一次的な結びつき、カニとエビとの間に見出される二次的な結びつき、そしてカニとエビの関係と人と馬の関係における三次的な結びつき・・・というようにより抽象度を上げて、メタな関係性について考えています。[1]

 個人的に、ここで面白いのは、サイバネティックス的な観察するモノと観察されるモノの関係だと思っています。つまり、観察されるモノとして一次的な結びつき→二次的な結びつき→三次的な結びつき、を見るためには、観察するモノとしての視点が引き上がらないと見えてこないということになるわけです。

 つまり、ベイトソンが二重記述/多重記述と言う場合、一人称、二人称、三人称といった単なる立場の違いという以上に、同じ立場から見た異なる視座つまり視点の高い、低いによる違いも入った形式で観察され、記述されていることが重要な点だと思います。

 ちなみに、このあたりは上のリンクの論文を参照すると「Logical Level」というところで説明されています。

 さらに、ベイトソン生誕100周年記念号の「Cybernetics And Human Knowing.」に寄稿された「Patterns That Connect Patterns That Connect」というエッセーがありますが、


 この面白さは、パターンについてのパターンを観察されるモノと、これを観察しているモノとの関係性において、一般意味論的な視点からすると以下で書いたマルチ・オーディナリティで視点の抽象度をメタの方向にどんどん引き上げているように思えてきます。



(つづく)

文献

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