2012年5月19日土曜日

リフレーミングに対する考察(その2)



言葉を置き換えただけで、認識や行動が変わるとは限らない、というかそんな簡単には変わらないだろう、普通(笑)。それにしても、ネットでリフレーミングって説明しているのは、家族療法などで言うリフレーミングではなくて、単に言葉を言い換えただけのパラフレーズにしかなっていないのがあまりにも多いなぁ。

独り言


今日は、「リフレーミングに対する考察(その2)」について書いておきましょう。

リフレーミングで陥る罠

Google で「リフレーミング」を検索するとリフレーミング表なる面白い表に行き当たります。

ttp://www.kyo-sin.net/reframe.htm

この表は、義務教育を担当する教師が生徒の通知表で使うというコンテクストを想定した言葉の置き換えです。 それで、こういった場面に限ればそれなりに機能するやり方ではあるのでしょう。

もちろん、このやり方を非難する意図はないのですが、通常のコーチングなどの会話でリフレーミングを行う場合、このような一見否定的と思われる言葉を捉えて、一般的に肯定的と呼ばれる表現に置き換えるような単純な方法は上手くいかないように思います。

その理由を少し考えてみましょう。

l       リフレーミングする側とされる側の思考の枠組みの違い

一つの理由は、コーチとクライアントの思考の枠組みが無視されていること。コーチングなどの場面ではクライアントの言葉を捉えてコーチが一般的に良いと思われる言葉で置き換えても上手く機能しない場合が多いでしょう。

その理由はコーチの思考の枠組みで良いと思っている言葉が、必ずしもクライアントの思考の枠組みで良いと思っている言葉ではない可能性が高いからです。例えば、上の表の例だと「無口」→「おだやかな、落ち着いた」とリフレーミングされていますが、コーチングの状況では、「無口」という振舞いが、クライアントにとって必ずしも「おだやかな、落ち着いた」という意味と等価にはならないからです。

l       経験にどのようにラベリングを行うのかのプロセスに着目する必要性

もう一つの理由は、どうやってその言葉がその経験にラベリングされたのか?というプロセスを無視して、単にコンテンツ(言葉だけ)を扱っていること。これは、クライアントがある経験をどのようなプロセスでその言葉で表現しているのか?というようなその認識プロセス自体に焦点を当て、再ラベリングを行うようなプロセスを繰り返さないと、単に言葉だけを置き換えることは難しいでしょう。もちろん、その経験をクライアントが別の角度から見ることで、別の言葉に置き換えることができた、結果、クライアンの腑に落ちる形式で別の意味になった、という形式にならないと上手くいかないでしょう。

リフレーミングの背景にあるパターン

では、実際に機能するリフレーミングをどのように身につけるのか?のヒントとしてご紹介しておきたいのが、ビル・オハンロン著「可能性療法―効果的なブリーフ・セラピーのための51の方法」[1]です。

本書はビル・オハンロン/サンディ・ビードルによるミルトン・エリクソンから派生したブリーフ・セラピーの一つの手法である解決志向(Solution-Oriented)の主に言語パターンについて説明されています。

 本書によれば、ミルウォーキー派の短期療法家スティーブ・ド・シェザーが体系化したソリューション・フォーカスト・アプローチ(Solution Focused Approach
が主に解決に焦点を向けた解決方法であるのに対して、解決志向アプローチは解決を念頭に置きながら、同時に問題の部分も取り扱うとアプローチである定義されています。

それで、本書の内容は、2コマ漫画のようなイメージで、クライアントが発した言葉に対して、セラピストが解決志向に即したツッコミを入れていくというような、人間の可能性を信じて少しユーモラスに返答を返すパターンが5つのカテゴリー、51パターン紹介されていることになります。


承認と可能性
見方を変える
問題と目標
内的資源
行動を変える


一読すると非常に平易なものばかりなのですが、個人的には、1)MRIの語用論の視点、2)認知言語学のカテゴリー化とプロトタイプの視点、3)生成文法の視点 と3つの視点で読んでいたのですが、非常に理論的にはよく考えられた優れたリフレーミングの会話であることに気づかされます。

例えば、51のほんの1つのパターンである可能性を伴う承認について3つの例について書いておくと、

(1)
クライアントの悩みについて述べた言葉を過去形に変えて「バックトラック(反射)」する。
(2)
クライアントが述べた全体的な言葉を部分的な言葉として「バックトラック」する。
(3)
クライアントが述べた「事実」や「現実」を知覚として「バックトラック」する。

ということがあります。例えば、(1)は、「とても大変なんです」→「(気持ちは分かりますよ)大変だったんですね。」いう具合にと非常に単純なものですが、これが上手く機能した場合はメタ・メッセージとして「問題は長くは続きません」とか「その問題が既に終わったことでなのですね」を相手の無意識に伝えていることになるでしょう。

(2)は、「何もかも上手くいかないのです」→「(なるほどわかりまよ)大抵の場合は、うまくいかなかったのですね。」という具合に一般意味論でいう「Etc.」のロジックを使って、メタ・メッセージとして、「何もかも上手くいかない」といっても「一つくらいの例外はあるでしょう」その例外に注目してみたら?というようなニュアンスを相手の無意識に伝えていることになるでしょう。


(3)は、「彼女は私のことが嫌いなんです」→「あなたは、彼女があなたのことを嫌いである、と感じておられたのですね」という具合に知覚に焦点を向けさせるようなことを行なっています。理屈としては以下のリンクで書いた「How do you know?」と同じです。


それで、本書で紹介されているリフレーミングのパターンの格好が良いのは、話のコンテンツ、あるいは言葉としてのコンテンツに入り込むのではなくて、知覚、認識のプロセス自体に、どちらかというと相手に意識されない形式で介入しているという特徴があるでしょう。

何れにしても仕事や日常生活においてこういったレベルのリフレーミングになると、一種の「白々しさ」から開放されて相手からは「何か感じの良い人」としか見えていないところが良いところのように思ってきます。逆の言い方をするとこのレベルまでいかないと使い物にならないということですねぇ。

余談ですが、最終的には認識主体をオートポイエーシスと考えて、環境と自己の相互作用においてどのようにリフレーミングが機能しているのか?を考えておきたいと思っているので現在、色々文献を物色中という感じでしょうか?



(つづく)

文献

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