2012年5月24日木曜日

ミルトン・エリクソンの技法を見るメガネ




「何をやっているのか?」を理解できること(Knowing)、それと、実際に体を動かして何かが出来るようになること(Doing)は、やっぱり次元が違う。

 それで、このギャップを埋めることを考えると、演繹的なトップダウンのアプローチと帰納的なボトムアップのアプローチがあるように思ってくる。 

それでトップダウンから行くと、まずは、「何をやっているのか?」を理解するために、できるだけ質の良い枠組みを見つける必要がある、と思う。 つまり、この枠組みをメガネにして、実体がどう見えるのか?あれこれ試してみることになる。でも、これに凝り始めると色々ありすぎてキリがない。(笑)

ちなみに、「何をやっているのか?」は、コンテクストによって違ってくる場合が多い。

つまり、「どんな状況判断に基づいて、それを行なっているのか?」という次元が一つ上がった状況判断の枠組み自体を見る必要が出てくる。

当然、枠組み自体を見るためには、それより次元を上げてその枠組の外から見ないと枠組み自体が見えないという制限に遭遇することになる。 そうするとメガネにもいくつかの次元があるということになるのだけれど、少なくとも枠組み自体を見るためにはその枠組のメタに出たメガネが必要になってくる。 

それで、個人的には枠組みが見えるメタのメガネを3つくらいは持っておきたいなぁ、と思っているところ。

ボトムアップのほうはもっと単純、五感の知覚に戻って、意味をカッコに入れるところから。それが基本。

独り言


今日は、「ミルトン・エリクソンの技法を見るメガネ」について書いておきましょう。

まずはトップダウンのアプローチから

  ビデオに撮られた映像で、ミルトン・エリクソンがクライアントを前に語りかけている様子を観察すると大抵の人は、エリクソンが何をやっているのかまったく理解できない・・・という場面に遭遇することになるでしょう。

 私の場合は、比喩的ですが、UFOを目の前にして、既知であるニュートン系の力学やベルヌーイの定理[1]を使って、なぜ、その謎の飛行物体が空に浮いているのか?説明できなくて途方に暮れているという感じになっていました。 

 そこでこういった問を立てることにしてみました。「どうして途方に暮れているのだろうか?」、もちろんこれは演繹法的なトップダウンからのアプローチですが・・・

この答えとしては、「エリクソンが何を行なっているか?理解する枠組みを持っていないから。」というのが浮かんできました。

それで、更に「エリクソンを理解するために最低限必要な枠組みは何か?」と問を立て、この答えを探すということが当面テーマになった、というわけです。

もちろん、MRIなどの偉大な先人の研究があるわけで、まずはこの枠組、つまり、コミュニケーションの公理や 1)語用論、ベイトソンのマインドの理論を含む、 2)統語論 3)意味論のメガネをかけて観察してみることにしたというわけです。

 
 そうすると不思議なもので、不思議と言われているエリクソンが何をやっているのか?それなりに格好のつく方法で理解でき、そして言葉で説明できるようになる、もちろん言葉で説明しているということは暗黙知を形式知化しているわけであり、大方の暗黙知は落っこちてしまうことになるわけですが・・・・

 それで、この枠組に凝り始めると、ベイトソンの人類学的視点とか、現象学的視点とか、元々のMRIの枠組みが一般意味論の影響を受けているのに対して、この部分をエナクティブな認知科学[2]にしてみたらどうなるか?とか、そうすると意味論のところも変形生成文法から認知言語学に変えてみよう・・・・

 そうするとエリクソンというUFOを説明するために知らない間に認知科学を勉強するハメになっていて、ヴァレラの「身体化された心」[3]とかレイコフ&ジョンソンの「Metaphors we live by[4]はもとより「The Body in the Mind[5]、「Women Fire and Dangerous things[6]、「Philosophy in the Flesh[7]あたりのアンチ・デカルトの人たちの認知科学にどっぷり浸っているというわけの分からない状況を楽しんでいることになっているというわけです。


 もちろん、これはエリクソンを見るメガネの一つでしかないわけですが、認識論や認知科学に還元するこういうやり方だと、エリクソンを学びながらエナクティブ学派の認知科学も学べてしまうわけですし、エリクソン以外にも世の中で起きている色々なことを見る枠組みを身につけることが出来るわけで、ある意味、催眠でありがちないわゆるスピリチュアルな方向に流れるよりも投資対効果は高いな、と思っているところです。


http://ori-japan.blogspot.jp/2012/01/blog-post_17.html

 何事も科学で説明できるわけではない、でも説明しようとしないのは知的怠慢、そんな感じでしょうかねぇ(笑)。



 
(つづく)

文献

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