2012年7月12日木曜日

地図と領土の話

                                     

ニコニコ動画でやっている天才バカボンの第30話が一般意味論的に面白いと思います。

多少ネタバレになるのですが、バカボンのパパが「売家」と書いた習字を家の表札のヨコに張り出す。

 パパは「習字そのもの」を売るつもりだったのだけれど、これを見た不動産屋は当然、「家そのもの」が売りに出されていると考えた。一般意味論的には、家→領土で、「売家」の習字→地図ということになるのですが、この話では、お互いが地図と領土の範囲を混同して正気(Sane)でないドタバタ劇が展開されるということになるわけですが赤塚不二夫さんはやっぱり天才だったのだなぁと思うわけです。


 もちろん、これに対する短期療法的な解決策はお互いのコミュニケーションにおいて「地図と領土の区别をつける」ということになってきます。

独り言


今日は、「地図と領土の話」について書いておきましょう。

科学と正気をパラパラと再読

  少し気になることがあって一般意味論の創始者であるアルフレッド・コージブスキーの「Science and Sanity(科学と正気:未邦訳)」第五版[1]を再読してみたというわけです。(個人持ちの「科学と正気」はハードカバーですが、文献のリンクは無料オンライン版)

 一般意味論には、「The map is not the territory. (地図はそれが示す土地そのものではない)」という有名なフレーズがあるわけですが、実際に地図と土地が何を示すのか?もう一度その定義を確認しておこうという理由からです。

 一般意味論では、人が抹消神経、つまり五感から情報を取り入れ、そして情報の抽象化の過程をへて中枢神経へ送られ、そして神経系へ符号化される過程のモデルに構造微分(Structural Differential)があります。


 ここで個人的に気になったのは領土が構造微分でイベント・レベルの出来事を差すのか?あるいは認識主体の表象の中のオブジェクト・レベルを差すのか?という疑問があります。


 つまり、イベント・レベルは認識主体の外で起こっている出来事であり、極端な話これには、見ることの出来る可視光線以外の情報、また聞こえる周波数以上の音などが含まれているため、このイベント・レベルは誰もその実体を直接見たり聞いたり感じたりすることは出来ないという制約があるわけです。

それで、科学と正気に以下のような記述があります。
 

In science and life a great deal depends on proper evaluation, tested by predictability, which depends in turn on the similarity of structure between territory-map or fact-language.


ここでは、 territory map fact language が等価と考えることができますので、おそらく、 fact は個々人の表象にあるオブジェクト・レベルの事実map オブジェクト・レベルに対してラベリングされた記号や言語、シンボルを差すということになると読むことが出来ます。

つまり、「地図はそれが示す領土そのものではない」は、それぞれの認識主体の中に表象されたオブジェクト・レベルの事実と、それについて認識主体の人がラベリングして推論を行おうとしている記号や言語、シンボルは違うものであることを認識しなさいといっていることになるというわけです。

 それでこの話を前提としてグレゴリー・ベイトソンのマインドの理論(Theory of Mind)の話につながってくるわけです。


(つづく)

 文献

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