2012年7月16日月曜日

ミルトン・エリクソン派のトランス誘導

                                     

個人的にはやはりエリクソンの技法をサイバネティクス的な観点から見ているのだけれど、まずは、何が変数で、何が定数か?っていうところから観察をしてしまいます。

それで、エリクソン派のトランス誘導ってスクリプトの読み上げをするな、ということもあるけれど、本当はベースになるスクリプトを関数 y=f(x1, x2 .. xn)と考えて何が変数か?を認識して状況に応じて変数の値を変えてみることなのだろうなと思っているわけです。

もちろん、ここでもサイバネティクス的に自分でコントロール可能な変数なのか?コントロール不可能な変数なのか?を考えて、コントロール可能な変数を色々いじってみるということになってくるような具合です。 

例えば、コントロール可能な変数には、環境変数とかクライアントの心身状態、認識パターン、信念・価値観などありそうですが、それをどうスクリプトに反映させていくかが鍵になりそうですねぇ。

もちろん、コントロール不可能な変数があれこれいたずらをしてくる場合があるのでしょうが、コントロール不可能な変数による影響については、この結果を受け入れ、戦略的思考で設定した目的に対してそれをユーティライズするのがミルトン・エリクソン流ということになってくるように思ってくるわけです。


独り言


今日は、「ミルトン・エリクソン派のトランス誘導」について書いておきましょう。

お作法としてのエリクソン派トランス誘導

  認識や行動が変化するためには現在の枠組みからアウト・オブ・ザ・ボックで飛びだして新しいパラダイムを見つける必要があるわけですが、このように古い枠組みから飛び出すためのリソース(資源・資質)を探すためにトランス誘導によって導かれたトランス状態が有効な場合があります。 

 もちろん、逆の言い方をするとどんなに上手にトランス誘導ができても、あるいはエリクソン派があまり気にしていないトランスの深さというところにおいて、仮に深いトランス状態に導くことができたとしても、リフレーミングやメタファーなどを活用して、現在の枠組みから抜けるベイトソンのマインドの理論で説明されていた高次の論理階型にあるリソースが見つけられない場合は、トランス誘導だけ成功しても変化が期待できないため何ら意味がないということでもあります。


http://ori-japan.blogspot.jp/2012/06/blog-post_23.html
http://ori-japan.blogspot.jp/2011/08/blog-post_31.html

 もちろん、ミルトン・エリクソンもトランス誘導を必須としていたわけでもないのでしょうから、以下のリンクで書いたトランス誘導なしで行動や認識に変化を起こす方法を身に着けておく必要があるということにもなるでしょう。


 それで、日本人だったら下手くそな心理療法などを受けるより禅寺に行って座禅でも組んでいた方がよほど効果的なのかもしれませんが、心理療法と禅の共通点に関してはジェイ・ヘイリーの文献を引用して以下のリンクで書いた通りです。


それで、トランス誘導を行う場合は、どうなるのだろうか?と考えた時に参考になるのが以下のようなスクリプトだというわけです。それで、以下のリンクにはマイケル・ヤプコ博士のトランス誘導のスクリプトが提示されていることになります。


 それで、ここで注意するのはあくまでもここで示されているスクリプトはJazzの即興演奏から楽譜を起こしたようなものであっていつでも、この通りに読まれるわけではないと思います。

 また、おそらくこのスクリプト自体が関数のような形式、これを比喩的に言うとy=f(x1, x2 .. xn)な形式になっており、環境変数としての、あたりの状況、クライントに起因する変数として、(ベティ・エリクソンの催眠誘導のように)クライアントの五感のどのチャネルに焦点をあててもらうのか? 地図と領土どちらに焦点を向けてもらうのか?その感覚を内在化したものとして捉えてもらうのか?外在化したものとして捉えてもらうのか?・・・・・というように現象学的な意識の方向性や五感の注意をどこに向けてもらうのか?を状況に応じて変化させていくように活用する必要があるように思ってきます。

逆に言うとこのスクリプトを読みながらどこが変数になっているのか?を考えながら読んでみると良いでしょう。

もちろん、これ以外に1)統語論として変形生成文法の枠組みで見てみるとシンタックス自体に削除、歪曲、一般化があることが分かってきますし。 2)意味論として認知言語学のカテゴリー化やプロトタイプ理論で見れば物事をどの粒度で捉えているかが分かってくるわけですし、イメージ・スキーマで見れば物事をどのような枠組みで捉えているのかも分かってきます。また、3)語用論の枠組みで見れば、どこがメッセージでどこに含みとしてのメタ・メッセージになっているかも分かってくるという具合です。


 それで、また別の資料としてエリクソン派がトランス誘導に活用するフレーズがネットに落ちていたので、レゴを組み立てるように形式でいつくか組み立ててみるのも面白いだろうなと思っていたところだったわけです。



(つづく)

 文献
N/A


記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com


0 件のコメント:

コメントを投稿