2012年7月17日火曜日

アブダクションとなぞかけ

                                     

ミルトン・エリクソンのようにメタファーを使いたかったら、笑点とかでやっている「なぞかけ」の練習をすればいいんだよねぇ(笑)

独り言


今日は、「アブダクションとなぞかけ」について書いておきましょう。

物事と物事との関係性に焦点を向ける

グレゴリー・ベイトソンの精神と自然の中に、人がメタファーを活用して思考するプロセスを説明する表現として「人間は草である (Men are Grass.)」があります。[1]

 この前提として、人の思考形態について考えると、一つは、いくつかの事実から共通点を見つけ法則めいたものを見つける帰納法、そして、その法則を事実に適用するような形式で思考する演繹法の2つがあります。

もちろん、負のエントロピーを食べて好き勝手に考え、好き勝手に行動する人というのは、これ以外にも色々な思考が出来るわけですが、一見関係の無い事象を結びつけ、そこに何らかの関係性を見つけるというのがこのメタフォリックに考えるアブダクションのロジックというわけです。[2]

もちろん、ネットで「アブダクション」と検索すると、「私はUFOに拉致されたことあるのです・・・」というような記事が検索に引っかかるわけですが、ここでのテーマはこれとは関係のない、米国のプラグマティズムの父とも呼ばれるチャールズ・サンダー・パースの研究でも有名な思考形態としてアブダクションということになります。

 それで、話を元に戻して、「人間は草である」と書かれるとそのロジックが分かり難いところがあるわけですが、落語などでやっている「なぞかけ」のフォーマットに直してみると一目瞭然となります。

 「人間とかけて、草と解く、その心は?」

 このように質問されるとほとんどの方は、無意識に「人間と草の間にはどんな関係が あるんだ?」と考えて、その関係性に焦点をあて、そして答えを考え始めることになります。 

もちろん、ベイトソンの例は「人間も死ぬ、草も死ぬ、故に人間は草である」という例が示されていますが、もちろん、アブダクションの名前の通り、別にこれ以外の答えが出てきても何ら問題があるわけではありません。

逆に言うと、誰にも考えつかなかった関係性を発見するということがある意味創造の源泉となっているわけでもあり、コンテクストを理解してそれがメタファーとして話されているのか?現実のこととして話されているのか?の区别がついていることが正気か正気ではないのかの分かれ目ともなってくるわけです。

 (つづく)

 文献

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