2012年9月1日土曜日

ミルトン・エリクソンと認識論

         

なぜ、MRIのベイトソン・グループがミルトン・エリクソンの技法を認識論(Epistemology)に還元して説明したのか?を考えると面白いことが浮かび上がってきますねぇ。

独り言


今日は、「ミルトン・エリクソンと認識論」について書いておきましょう。

何をどのように認識しているのか?認識プロセスに還元する

まずは、エリクソニアンのステーブ・ランクトン氏のサイトの記事から。心理療法家のミルトン・エリクソンの技法というところについて少し考えてみると、やはり一つの特徴は、主観的な認識論というところに還元されて説明されているという点でしょう。


 もちろん、これはエリクソンが自分自身の技法を認識論で説明しているというのではなく、MRIのベイトソン・グループがエリクソンの技法を認識論に還元して説明するために導入した概念ということになります。

 認識論(Epistemology)については以下のリンクで少し書いたわけですが、


 要は、クライアント一人ひとりの主観的な認識論、つまり「何をどのようなプロセスで認識しているのか?」があり。ミルトン・エリクソンの技法がこの認識論的なプロセスにどのように介入を行ったのかが説明されていることになるわけです。

 それで、心理療法の場合は、こういっては悪いけれども、一般常識でいうと変なものを信じていて日常生活に支障をきたしている人が対象となることも少なく無いということがあります。例えば、エリクソンのケースだと「わたしはイエスキリストだ」と心から信じており、日常生活に支障をきたしている男などがこれにあたるでしょう。

 もちろん、ここでエリクソンの技法が面白いのは、一旦、エリクソン自身が判断を止揚して、「わたしはイエスキリストだ」と主張している男の主観的な認識論の世界ではその考え方は、それはそれでありだと認めてしまうこと。逆の言い方をすると「一般常識で言うとそれはあり得ない、あなたは頭がオカシイのではないか?」とは決して言わないということ。

そして、一般常識で考えると変だと思われているこの認識をどのように利用(ユーティライズ)して、あるべき方向に持っていくのか?と考えるのがエリクソン流というわけです。この場合は、この男に「だったら大工仕事は得意だよねぇ。(だってキリストは大工の息子でしょう・・・)」といって他の人のために大工仕事をしてもらって社会性を取り戻してもらったということになっていたと思います。

http://ori-japan.blogspot.jp/2012/07/blog-post_06.html
http://ori-japan.blogspot.jp/2012/08/blog-post_21.html

 それで、前世療法などというエリクソンとはまったく関係ないトンデモ療法があるようです。まぁ、やるのは勝手ですが少なくとも、これをエリクソン催眠などと呼ぶのは個人的にはやめて欲しいと思っています。こんな概念ないのだから。で、個人的にまずいなと思うのは、本来色々なことを止揚して物事を見なければいけないセラピスト側が認識の歪として、前世の存在というのを前提としていること。

 こんなことを言うと前世はある、ないというような存在論(Ontology)の問題になってくるわけですが、これは釈迦も言っているように結論の出ない問題なのでしょう。これについて、中観派の仏教徒である宮崎哲也氏の「仏教は前世も霊魂も認めていない」[1]みたいな直球を投げる人が居て、確かに中村元を読むとそうだよねぇニヤニヤと個人的には同意しているところがあるわけですが、ここで言いたいのは、宗教論争ではなく、ある/なしの存在論に陥ってしまうと、いつまでも無限ループの堂々めぐりになってしまいますよということです。もちろん、前世の存在を信じる、信じないは個人の信条の問題なので、どちらでも好きなほうを選べば良いとは思います・・・・

 それで、もしエリクソンならばどういったアプローチがあるのか?と考えると、クライアントとして前世を信じている人で、かつ、これが日常生活に支障をきたしているのであれば、エリクソンは自分の物事の見方を止揚し、そして、まずクライアントの世界観「前世は存在するよ」にペーシングを行い、(そういった世界観を持つことは良いことですというメタ・メッセージで)それを承認し、そして、それをユーティライズする方法を考えるのだろうなと考えたわけです。

http://ori-japan.blogspot.jp/2012/01/blog-post_03.html

 もちろん、ここでミルトン・エリクソンにクライアントが「先生は前世は絶対存在すしますよねぇ?」とコンテンツの存在論の問題として尋ねられれば、エリクソンは「I don't know . I really don't know.」と答えることになるでしょう。要は Not Knowing アプローチというわけです。

 逆にいうとセラピストが前世を強く否定していて、「前世なんて存在しません」というクライアントがやってきた場合、セラピストはそのクライアントの世界観に自分の世界観を投影することなく、その世界観をを止揚して見ることができなければ、そもそも話にならないのだろうというわけです。

 もちろん、こういったクライアントがミルトン・エリクソンに「先生、前世なんて存在しているわけはないですねぇ?」と尋ねれば、エリクソンは「I don't know . I really don't know.」と答えることになるでしょう。つまり、存在論の問題には踏み込まない。ただし、ここでも「そういう世界観を持つことは良いことです」と承認を行うことになるでしょう。

 それで、エリクソニアンの基本的なスタンスは自分の信念・価値観、あるいは認知バイアスをクライアントの世界観に可能な限り反映しないように空白の視座に居ることを心がけるということになってくるわけです。もちろん、クライアントが「キリストを信じていようが、信じていなかろうが」「前世を信じていようが、いなかろうが」、エリクソンは自分自信の信念・価値観を止揚した視座から「あなたがそういった世界観をお持ちなのは良いことです」と承認を行うことになってきます。

 それで、個人的には、セラピスト自体が前世というフレームワークを設定しないとクライアントからメタファーの一つも引き出せないのであればそもそも話にならないのだろうなと思ったのと、セラピストが何を信じているかは思想信条の自由で勝手なのだと思いますが、空白の視座に居るのがエリクソニアンであるわけでし、前世などというフレームワークを前提として、それをクライアントの世界モデルに反映するのはそもそも論としてどうなのだろうな、と思ったわけです。まぁ、エリクソニアンの技法として普通に Multiple Embedded Metaphors の技法を使えば、前世などというフレームワークなど設定せずにセッションは進行していくわけですし・・・・・ 

 それで、今日書いたことは、短期戦略療法の結構、根幹の概念になるわけですが、なぜMRIのベイトソン・グループが存在論(Ontology)を保留して、認識論(Epistemology)に還元してエリクソンの技法を説明したのか? エリクソンはクライアントと向き合うとき、自分の信念・価値観を止揚して、クライアントに接したのか?を考えるとかなり面白いものが浮かび上がってくるように思ってきます。

(参考)

 (つづく)

文献
[1] http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1414113314


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