2012年10月14日日曜日

答えのすべてはその人の中にあるとは限らない


                                     

グレゴリー・ベイトソンが「木こりが斧で木を切り倒している時に、このマインドはどこに存在しているのか?」[1]といった問は結構深いのだよねぇ。(笑)

このあたりは、バイク乗りが人車一体で道路とダンスしている状態の時に、このマインドはどこにあるの?と聞かれているのと同じかもしれませんけれどねぇ~

独り言


今日は、「システム思考とは何か?」について書いておきましょう。

 答えはコンテクストと人と人の相互作用によってもたらされる

 コーチングもその背景にどのような哲学や神経学的理論を持っているのか?によるのでしょうが、人類学者のグレゴリー・ベイトソンや神経学者ウンベルト・マトゥラーナなどの知見で考えると個人的には「答えのすべてはその人の中にあるとは限らない」というようなことになるのではないかと考えています。

 もちろん、このあたりはベイトソンがまったく異なる分野で観察できるパターン(特に抽象度の高いメタ・パターン)を別の分野に持ち込むことで新しいパターンを創発させて新しいアイディアを得るといった、メタファーのアイソモルフィック(isomorphic)な活用法[2]ということになるのでしょうが、そういった難しい概念を引っ張りだすまでもなくベイトソンの理論を端的に表現していることわざがあると思います。

 一つは「火事場の馬鹿力」、これは何か自分の中にある能力が発揮される場合には、適切なコンテクストが必要なこと。サイバネティックス的に考えると、状況の中で能力を発揮している人と、ある人に状況を発揮させるコンテクストとしての場が相互作用していると考えられること。もちろん、こういう状況に陥らないことのほうが幸せなのかもしれないわけですが、極限まで能力を発揮するにはそのような「場」が無ければ能力は発揮されることもなければ、そうする必要もないということになるのでしょう・・・・

 もうひとつは、「三人よれば文殊の知恵」もちろん、これも立場や視点の違う意見をもちより、すり合わせをすることで一人の能力では決して出なかったアイディアが出てくることになるのでしょうし、チームで何か行うことで、一人でやるより大きな仕事が可能になるということになるのだと思います。そう考えるとこの場合のアイディアは、上で述べたコンテクストに加えて、人と人との相互作用によってもたらされるということになるということになります。

 このあたりは、心理療法家のミルトン・エリクソンが治療家の立場としてクライアントの治療にあたった場合、いかに、状況や人と人との相互作用を使いこなすのか?といったユーティライゼーションにこだわった理由でもあるのでしょうし、クライアントがいかに状況を学習し、人と人との関係性を構築するのか?を支援していた証左でもあり、グレゴリー・ベイトソンの学習理論[3]にも当てはまることだと思います。

 そんなわけで「すべての答えはその人の中にある」なんていう、何も考えていないコーチングは個人的に好まないのですが、そもそも論から言って、「すべての答えはその人の中にある」のだったら、コーチなんかいらないじゃんと思っている今日この頃でもあるわけです。第一、ミルトン・エリクソンとかグレゴリー・ベイトソンとか一言もそんなこと言っていないし(笑)。

(つづく)

 文献
[3]http://www.psychodyssey.net/wp-content/uploads/2012/05/TOWARD-A-THEORY-OF-SCHIZOPHRENIA-2.pdf


記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com

0 件のコメント:

コメントを投稿