2012年10月4日木曜日

人の認識における:地図はそれが示す領土にあらずについて


                                     

 オートポイエシスの認識論を引用して「地図は領土である」っていうメタファーがあるけれど、実はベイトソンが目指していたのはこっちのほうだろうねと考えるとこれが結構面白いねぇ。[1]

 独り言

今日は、「人の認識における:地図はそれが示す領土にあらずについて」について書いておきましょう。

 地図と領土の話は結構深い

一般意味論の創始者、アルフレッド・コージブスキーがその著書「Science and Sanity(1933)」の中で「地図はそれが示す領土そのものではない(The map is not the territory.)」といったのは比較的よくしられた話だと思います。

もちろん、数日前に「American Society of Cybernetics」のベイトソンに関する書簡を引用したように、元々無生物に対して適用されていたサイバネティックス的な考え方を第二次サイバネティックス(Second Order Cybernetics)として生物、特に人の認識というところに拡張し、言葉や記号が人の思考や知覚にどのような影響を及ぼすのか?を説明するためのモデルとしてこれが使われ始めたところから、かなりややこしい話になってきているように思います。


 もちろん、「Science and Sanity」の中で語られていることは以下のように、[2]

A. KORZYBSKI's map territory metaphor is fundamental to the understanding of homomorphisms  and isomorphisms in General Systems Research.
KORZYBSKI stated: Two important characteristics of maps should be noticed. A map is not the territory it represents but, if correct, it has a similar structure to the territory, which accounts for its usefulness (1933, p.58).
Thereafter, KORZYBSKI transfers this understanding to languages: If we reflect upon our languages, we find that at best they must be considered only as maps. A word is not the object it represents; and languages exhibit also this peculiar self-reflexiveness, that we can analyse languages by linguistic means. This self-reflexiveness of languages introduces serious complexities, which can be solved only by the theory of multiordinality (Ibid).
That the word is not the object is made perfectly clear by G. BATESON's example: The word 'cat' cannot scratch us (1973, p.153) and also from the following humorous A.N. WHITEHEADs comment, quoted by KORZYBSKI: The appeal to a class to perform the services of a proper entity is exactly analogous to an appeal to an imaginary terrier to kill a real rat (1933, p.247).
As to theory of multiordinality, it is quite close to RUSSELL's theory of logical types.
Confounding the map with the territory leads generally to dire consequences, as well as using an incorrectly structured map, whether geographic, linguistic or conceptual.
The subject has also been reworked by H. von FOERSTER through his Cybernetics of 2d order (1981).


とりあえず、地図が自己参照できるとか、マルチ・オディナリティとか、ラッセルーホワイトヘッドの論理階型の話は以下を読んでいただくとして


 要点だけを述べると、領土=実体、地図=言葉、記号ということを表しており、要は、「言葉はモノではない」ということを言っていることに過ぎません。もちろん、一般意味論の目的からすると、人は言葉とモノを混同してしまうところから認識の混乱が始まり、多くの問題が発生するということになるわけでもあります。


 それで、心理療法家のミルトン・エリクソンから派生する短期・戦略・システム療法、あるいはこれをベースとしたコーチングの重要な介入法の人は、クライアントの認識において、地図と領土の混乱に対して区别をつけてもらう、あるいはこれを支援するというところになってきます。


 もちろん、このあたりは以下で書いたエリクソニアンの技法からするとPartitioningと呼ばれたり、あるいは、オハンロン本では Splitting & Linking のうちの Splittingに相当するところとなってきます。


 もちろん、何を分けるのか?ということになると、あくまでも人の認識の中にある何かを2つあるいはそれ以上の概念や要素に分割して、場合によってはその要素のつながりが必然的なものではなくて、別の要素でも良いことを発見するということになってくることになります。

 もちろん、これだけだと抽象的でよくわからないということになるわけですが、短期療法やこれをベースとしたコーチングにおいて、クライアントの認識の混乱を鎮めるために具体的には以下の7つの区别を付ける必要性が示されています。[3] もちろん①~⑦は、比喩的にはすべて「地図はそれが示す領土にあらず」ということになるように思ってきます。
 
①地図と領土の区别(一般的には事実認識と解釈)
②人格と振舞いの区别(あるいは人格と意見の区别)
③認識主体が持つ意味、それと反応の区别
④五感で知覚される情報、それとそれに対する評価の区别
⑤思考の枠組み、それとそれから起こる感情の区别
⑥物事への探求、それと自分の主張との区别
⑦現在の(心身)状態と、望ましい(心身)状態

 もちろん、これを調べるには傾聴が必要なわけでしょうし、また、これを質問によってこの違いを意識してもらったからといって、元々無意識レベルの習慣としてそうなっているためすぐに解消するわけではないのは言うまでもありません。

 従って、ミルトン・エリクソン式にこの関係性を再構築するとトランス状態を使うのか?+ OR条件で、ダブル・バインドの禅問答を使って現在の思考の枠組みから出てもらうのか?といったことを行う必要があるわけですが


 まぁ、今このあたりのプロセスについてエッセーとして必至にまとめている最中だというわけです。
 
(つづく)

 文献

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