2012年12月26日水曜日

一般意味論をメガネにミルトン・エリクソンを観察すると

                                 


 グレゴリー・ベイトソンがその著書『精神と自然』で述べている「コーズィブスキーは、哲学者としての立場から、人間の思考に規律を持たせたいと願って、あの言葉を述べたものと思われる。しかしそれは成功することのない企てである。彼の言葉を、人間の精神過程の自然史という視点から見てみると、事情はさほど単純ではないのだ。」というのは結構深いのだよなぁ~、ちなみにあの言葉というのは「The map is not the territory.」ですねぇ。

独り言


今日は、「一般意味論をメガネにミルトン・エリクソンを観察すると」について書いておきましょう。

一般意味論をメガネとしてミルトン・エリクソンの技法を見てみる

このあたりは私の立ち位置が微妙なために実は説明するのが難しいところでもあるわけですが、わたしと「一般意味論」の関係について少し書いておきましょう。

個人的には、「一般意味論(General Semantics)」は非常に面白い概念だなと思っているわけですが、ある意味少し冷めたところもあって、コトバは悪いですが、一般意味論の熱狂的な信奉者としてこれを普及することに時間を使おう、とは微塵も思っていないというところがあります。

 「でも、一般意味論について色々書いていますよねぇ?」と質問されるとその通りなのですが、個人的には実は一般意味論を「ミルトン・エリクソンの技法を観察する時の一つのメガネ」としか考えていないところがあります。比喩で言うと、赤外線を感知するようなこのメガネをかけると肉眼では見えないものが見えるといった感じだと思います。つまりプラグマティズムの点からエリクソンを観察するフレームワークの一つとして使えるのだったらとりあえず使ってみましょう、というのが私の立場ということになります。


 
一般意味論的に「しょうもない」質問

 これについてもう少し説明してみましょう。Society of General Semantics のサイトに「A Continuing Education Guide to Teaching General Semantics[1]とタイトルのついた以下で紹介したドキュメントの元ネタについてのリンクが存在しています。


このドキュメントの中に「Asking Constructive QuestionsOnes That Show an Extensional Orientation」といった項目が存在します。簡単に言うと、「しょうもない質問はするな!」ということになるわけですが、一般意味論的にこの「しょうもない質問」つまり Unsane な質問が定義されています。要は、「問題の解決やそれを解決する行動につながらない質問、逆にいうと玉子が先か鶏が先かのような無限ループの推論に入るような質問」がこれにあたりますが、一般意味論的には、このような質問をしてはいけませんよ、という原則が示されていることになり、例えば、一般意味論をベースにしたコーチングなどにもこの原則が引き継がれていることになります。

一般意味論で Insane とUnsaneを区別する


余談ですが、一般意味論では、一般的に Insane(正気ではない)Unsaneが区別されています。コージブスキーの定義によれば、「"The difference between unsane and insane is that unsane doesn't necessarily get you into trouble." G.s. uses "unsanity" to mean something like "having a map that doesn't describe the territory accurately."」と書かれており、Unsane の状態がいつもあなたに問題を引き起こすわけではないということ、また、少し比喩的ですが、Unsaneは、地図に対して土地そのものがきちんと反映されていない(誰にでもある状態)だと定義されている点はおさえておくておく必要があります。例えば、コトバとそれが示す実体に明らかに齟齬がある状態がUnsane ということになってくるわけであり、これは日常生活や仕事の場面で誰もが経験していること、となります。

話をもとに戻して「しょうもない質問」について、具体的な質問の例を書いおくことにします。例えば、「私は成功するのだろうか?」がこの質問にあたります。これは自己啓発などで、「この教材を買うと金持ちになれますか?」とか「このセミナーに参加すると成功しますか?」といった「しょうもない質問」です。

一般意味論では解決を引き出したり行動を起こしてもらう方向で質問する・・・けれどエリクソンは・・・


一般意味論では、「しょうもない質問」は具体的な解決策や行動にはつながらないと考えており、「私は成功するのだろうか?」と質問する代りに「仕事の面接にパスするためにできる最適なことは何だろうか?」とか、「私はなぜ、裕福な家庭に生まれなかったのだろうか?」の代りに「裕福になるために今、私に出来ることは何だろうか?」と質問する、つまりUnsaneの状態に陥ることを防ぐように質問しましょう、という一般意味論の方向性が示されています。

さて、一般意味論をメガネといった理由を説明することにしましょう。ミルトン・エリクソンの心理療法を対象として一般意味論を通して観察すると、エリクソンが意図的にクライアントの地図と土地が一致しないように混乱させている場合があることがわかってきます。

つまり、一般意味論的な視点で言えば、ミルトン・エリクソンは独特の言語パターンを駆使して Unsaneの状態を意図的につくりだしているところがあるということになります。

http://ori-japan.blogspot.jp/2012/02/blog-post_29.html

もちろん、UnsaneSaneの状態にしようとするのが一般意味論の基本的な方向となるわけですが、ミルトン・エリクソンは場合によっては Unsaneを敢えて増幅する方向に持って行っているようなところが観察されるということになるわけです。

それで、この方向性というのも、あくまでも一般意味論をエリクソンの心理療法を見る一つのメガネとして使っているので見えてくるというところがあるわけです。逆に言うと、ミルトン・エリクソンが行なっていた心理療法は一般意味論で推奨している方向性とはむしろ逆だったことも多いということにもなってくるわけですし、このUnsane という怪しい言葉にミイラ取りがミイラになる方向でどっぷり浸かってしまうとエリクソン=へんてこスピリチュアルのような方向になってくるのだと思います。

もちろん、逆にそうならないのは、一般意味論をメガネとして使っているから、エリクソンの技法を良い悪いは別にしてメタ認知のモードで見ているから・・・ということになってくるわけです。つまり、一般意味論というカタにはめてみたけれど、そこからはみ出していることは分かった、でもこのカタが知らず知らずのうちにへんてこスピリチュアルに行かないための命綱としては機能していますね、ということになってくるわけです。

もちろん現在となってはコージブスキーの著作である「Science and Sanity(科学と正気)1933」が「科学」とは謳っているものの、現在の認知科学などに照らしあわせて科学なのですか?と問われると少々怪しいところもあるのは事実なのですが、個人的にはとりあえず命綱の一つとしては機能しているように思ってきます。

それで、余談ですが、エリクソンの心理療法は一般意味論の定義でいけば「地図と土地」の関係を主に言葉を通して混乱させて Unsane の状態をつくりだしているのであって決して Insane ではないというところも注意が必要なのだろうなと思っているわけです。もちろん、何が Unsaneで何がInsaneなのかもとりあえず個人的には一般意味論のメガネで見て区別をつけているというのが今日のオチなのかもしれませんけれどねぇ。(笑)

(つづく)

 文献
[1]http://www.generalsemantics.org/wp-content/uploads/2011/04/a-continuing-education-guide-to-teaching-general-semantics-by-martin-h-levinson.pdf

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