2012年12月9日日曜日

今日から使えるソリューション・フォーカス(番外編29)NLPのメタ・モデルはなぜ機能しないのか?―その2

                             

 ありゃぁ、ダメだと印象論で否定するのは簡単だけれど、実際に事実ベースでダメだと実証するのは結構大変なのですよねぇ。(笑)

 もちろん、最終的には「じゃぁ、何が良いの?」というところまで示すのはもっと骨が折れる仕事になるのでしょうけれども、ここまでやらないとなぁ~

 独り言


今日は、「今日から使えるソリューション・フォーカス(番外編29)NLPのメタ・モデルはなぜ機能しないのか?―その2」について書いておきましょう。

構造微分の復習を少し・・・

NLP(神経言語プログラミング)のメタ・モデル[1]について少し深いレベルで書いておきましょう。メタ分析も二重盲検もやっていないという意味で、NLPのスキルは結構いい加減なものも多いですが、ミルトン・エリクソンやブリーフ・セラピー関係の学術論文を読んでもメタ・モデルだけは出てくることも多いので、今日はこれについて少し書いておきます。

さて、一般意味論のモデルに人の知覚-認識-認識の枠組を明示した構造微分(Structural Differential)[2]があります。余談ですが、このモデルは1933年発刊の一般意味論の著作「Science and Sanity[3]に書かれているモデルで現在の認知科学の人の知覚-認識のモデルとは異なっているところは注意が必要です。

http://ori-japan.blogspot.jp/2011/08/blog-post_19.html
http://ori-japan.blogspot.jp/2011/08/blog-post_25.html

それで、最初に、人が五感から情報入手し、その質的情報がどのような抽象化のプロセスを経て処理されていくのかを示した構造微分のモデルを示しておきましょう。もちろん、人は負のエントロピーを食べて好き勝手に考え、好き勝手に振る舞うものですからあくまでも説明するためのモデルであり人の知覚や認識はこのように単純ではない、ということはお断りしておきます。


まず、自分の外的世界で何らかの出来事(Event)が起こるということがこのモデルの起点となります。次にその出来事についての情報を認識主体が五感から入手し、内的表象を構築します。純粋に五感だけで構築された(言語が介在しない)純粋経験としてのこの内的表象がオブジェクト・レベル(Object Levelと定義されています。

次にオブジェクト・レベルの表象の要素に対して言語によるラベリングを行なっています。これが記述レベル(Descriptive Level)と定義されています。

 このレベルから言葉、記号を操作しながら行う推論(Inference)、一般的にいう思考に行く場合があります。また、意識するしないにかかわらず、認識に対して経験から構築された何らかのスキーマ(枠組)が適用されなんらかの感情、情動が現れる場合があります。(不条理な出来事にむかついたとか、予想外の結果に嬉しくなったなど)もちろん普通は、知覚、思考などこういう処理が同時に起こります。

 また、思考と言った場合、考える対象としてのコンテンツは意識していても、思考プロセス自体は自分のもつクセのようなもので考えている場合が多いと思います。もちろん、一般的な思考プロセスは、帰納法、演繹法、アブダクションに分けられると思いますが、実際に思考をする時は、イシューツリーを補助線にでも使っていない限りは、良い意味でも悪い意味でもこれらをごっちゃにして使っていることが多いと思います。

また、いくつかの推論を繰り返し概念が帰納的に一般化され、なんらかのルールとしてのフレーム(枠組)が構築されるようになります。それで、一旦フレームが構築されると、外的な出来事の一部を観察し、残りはこのフレームが演繹的に適用されて良い意味でも悪い意味でも「いつものあれね・・・」というような判断がくだされることもあります。

それで、余談ですが、認知行動療法を体系化したアルバート・エリスが一般意味論に影響を受けていることを語っていますが[4]、例えば、個人的には認知行動療法の中にあるABCモデルが一般意味論の構造微分を元に構築されていると考えています。

余談ですが、構造微分のような人の知覚や認識に関するモデルを見てしまうと、私が従事しているビジネス上のコンサルティングやプロジェクトなどで、紙の上に記号として表現された、例えば、財務諸表や何らかのデータが書かれた報告書に対して、現実世界のどのような出来事が誰によって観察されてそのような文字や記号で表現されて報告書になったのか?その途中のプロセスについてどうなっているのだろう?と考える機会がとても増えたように思います。もちろん、良いのか?悪いのか?は別にして・・・

統語論のモデルを意味論のモデルにマッピングしてみる

さて、次に、NLPのメタ・モデルを構造微分にマッピングしてみましょう。ここでは、意味論としての一般意味論の構造微分に統語論としてのメタ・モデルをマッピングした構造になっているわけですが、実はNLPのメタ・モデルは構造微分にピッタリ適合するということが分かります。



もちろん、あまり知られていませんが、ここでぴったり合う理由は、NLPのメタ・モデルが一般意味論の構造微分の、1)知覚としての削除  2)思考としての歪曲3)枠組としての一般化、それぞれのレベルにおけるバイアス(のようなもの)を発話された表層構造としての言語から探る目的で当初からつくられているから、あるいは、統語はシンタクスしかないので人の中にある意味を表現するために1970年代当時にあった一般意味論をマッピングしたというのがここでの真相です。つまり、言葉と知覚・認識あるいは身体感覚の相互作用を表現しようと思ったらこういったモデルになったということになります。余談ですが、このようにマッピングされたメタ・モデルを特にメタ・モデルⅡと読んでいます。[5]

それで、このメタ・モデルがどのようなプロセスで導出されたのかを説明した「Structure of Magic vol.1/2[6]を読むと、身体の中の意味やその表象を深層構造(Deep Structure)また、実際に発話される言葉を表層構造(Surface Structure)として、この深層と表層の間は何らかのルールで結ばれている(Rule Governed)と構造主義的に仮定して初期の変形生成文法を使いこの間に、どのようなルールがあるのか?を変形性生成文法の変形規則を用いて探ったことから出発しています。もちろん、現在の生成文法はミニマリスト・プログラムになっているのでこの時に使われているのはかなり初期の理論であることには注意が必要です。

ここで余談ですが、統語について少し説明しておきましょう。もちろん、ここでは初期の変形生成文法の話になっています。


      英語
      I love you .   主語+述語+目的語
      日本語
      僕は、君のことが好きだよ  主語+目的語+述語
      述語が最後にあれば順番は問わない
      君のことが、僕は、好きだよ→ 目的語+主語+述語
      主語が省略されることが多い
      君のことが好きだよ → 目的語 + 述語
      変形生成文法の規約
      ここでは、主語、述語、目的語がそろっている文を深層構造
      主語、述語、目的語の何れかが欠けている文を表層構造と呼ぶ
      表層構造を聞いた相手は不足した部分を補完して聞く
      このプロセスを Trans-derviational Search と呼ぶ
      表層構造にはメタ・メッセージ「含み」が生まれる



もちろん、ここで重要なことは、一般的な生成文法は文の一部が欠落している部分を表層構造、文法的に完全な文を深層構造としています。メタ・モデルの場合は、上で書いたように発話されている文を表層構造、身体感覚を伴った意味を深層構造としている点が異なっています。

それで、メタ・モデルの話に戻ると、日常生活の場面でも、言っていること(表層)と、本音(深層)が違う人が居ること。もちろん、これは時に「嘘つき」と呼ばれることもあれば「腹芸」と呼ばれることもあれば、心理療法的に「不一致(Incongruence)」などと呼ばれることもあります。

あるいは、見たもの感じたこと(深層)を言葉(表層)で表現するのが得意な人/苦手な人、それぞれが居るようなことがあります。この場合、前者は作家のような文が書けるとか、春の訪れにつての素晴らしい句を読めるとか、素晴らしい絵が書けるということになりますし、後者はその反対ということになります。

もちろん、構成主義的なそもそも論としては、表層構造である言葉と、深層構造である、本音や意味の間には必ずしも因果関係や強い相関関係が存在していないと考えるわけですし、そもそも、深層、表層のような構造はないと考えることになるためこのあたりはベースにどのような理論を持ってくるのかで構築されるモデルはかなり違う結果になってくると思います。

 それで、今日の結論は、構造微分のモデルを意識して自分の言葉である表層構造を聞いて深層構造を回復するために活用するというのなからそれほど問題ないと思います。

 逆に、相手が居る場合の相互のコミュニケーションについてメタ・モデルのようなモデルを持ってきた場合はどうか?例えばコーチとクライアントのような関係の場合、コーチはクライアントの言葉からその相手の深層構造を推測するような形式になっていますが、結局、ここに万人に共通の因果関係を伴った関係、あるいは強い相関関係というのはないわけですから、結局、表層から深層を探るということを前提に考えると、ここに観察者の推測や解釈が入ってしまうのは致し方ないですねぇ、というのがある意味ここでの結論となってくるわけです

 もちろん、普通はここに語用論的にそのコンテクストで何がメッセージで何がメタ・メッセージかを(推論や解釈を含めて)かなりきちんと読まないといけないというような格好になってくると思います。そう考えるとどこまで言ってもコミュニケーションにはコンテクストが伴うわけですから、きちんと状況や文脈を設定して使わないと機能しないと話ではあるのかもしれませんが・・・・やはり、言語からコミュニケーションを観察する場合は、統語論、意味論、語用論の少なくとも3点からみましょう・・・というのはあるのでしょう。逆の言い方をすると、意味論の背景を知らずにメタ・モデルだけだけを使うとすると、言語パターンを統語論だけからしか見ることができないのでちょっとバランスが悪いですね、ということになってきます。

語用論と言えば、とりあえずコミュニケーションの公理(試案的公理)から見てみることですかねぇ。

http://ori-japan.blogspot.jp/2011/08/blog-post_08.html

http://ori-japan.blogspot.jp/2012/02/blog-post_29.html

(つづく)

 文献

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