2013年2月12日火曜日

エリクソニアンを目指す12の練習(その1)

                                  

 どうしたらエリクソニアンに成れるのか?ではなく、エリクソニアンになるためにはどのようなことを教えたらいいのか?と視点を変えるとまた面白いものが見えてきますねぇ。もちろん誰にでも実行したり継続したり出来て、怪しくなく、ある程度の再現性を持っていないといけないのでしょうけれどねぇ(笑)。
 
 独り言


今日は、「エリクソニアンを目指す12の練習(その1)」について書いておきましょう。

相手の価値に目を向けて、形容詞としてそれを書きだしてみましょう

  心理療法家のミルトン・エリクソンのスタイルを継承する心理療法家を一般的にはエリクソニアンと呼ぶわけですが、元々技法として特定のカタを持たないことをカタとするエリクソンのスタイルをどのように学べば良いのか?と考えるとわけが分からない世界に入ってきます。

 もちろん、ここでトランス誘導が使えるようになったからエリクソニアンだ、というわけではないですし、ましてやミルトン・エリクソンが喋ったとされる言語パターンだけ振り回していても、あまり意味はないというわけです。それで、本当のところもっとも深い、形式知として文章化することの難しいエリクソニアンが共有している理念のようなところを学ばなければいけないようにも思ってきます。

 それで、エリクソニアンに成り行く(Becoming)ためには日々どのようなトレーニングを積めば良いのか?についてエリクソニアンのジェフリー・ザイク博士が書いている12の項目がありますが[1]、これが中々深いので今日から少しご紹介しておくことにしようと思います。


1.For each client, consider the question: What does the person value? Be
specific and write out two or three adjectives per client.

それぞれのクライアントを観察してこの質問を考えなさい。「何がその人の値打ちなのか?(その人しかない値打ちがあるとしたらそれは何なのか?)」 それを特定してクライアント毎に2つから3つの形容詞で書き出しましょう。


 これはミルトン・エリクソンの理念として伺える「すべてのクライアントはユニークな存在である」という物事の見方、考え方を身につける練習ということになります。

http://ori-japan.blogspot.jp/2012/06/blog-post_22.html

 もちろん、以下のリンクで書いたように「形容詞」というところがミソで、相手の価値というのはあくまでも観察者の認識のフィルターを通して、相手と状況との相互作用の中で生み出された価値ということになってきます。

http://ori-japan.blogspot.jp/2012/11/blog-post_25.html

 これは心理療法家のみならず、コンサルタントでもプロジェクト・マネージャでも営業の仕事をしている人でも、顧客やチームなど誰かに接した時にこの質問に答えてみること自体価値のあることのように思えてきます。

 まぁ、全ての人はユニーク、つまり「One and  Only」であり、そのユニークな人たちが何らかユニークなコンテクストで何らか課題を抱えている・・・・と、まずは十把一絡げではないような方向で考えてみるわけです。

(当然過去の経験から見た共通なパターンというのはあるのでしょうけれども、コンサルタントでもプロマネでも営業でもまずは自分が One and Only に成りたければ、関わる相手から One and Only の価値とか能力を引き出すような方向で考える必要があるようにも思ってきます。もちろん、One and Only かどうかは、観察者の認識のフィルターを通して相手と状況との相互作用で決まってくるというわけです。)

 で、価値というと現在、うまくいっていることに目を向けて考えれば良いと思うわけですが、もし、相手が何か上手くいっていなかったり、あるは何らかの能力が足りなくて問題が起こっていたりしたとしても、「今、その能力を持っていないがために気づく価値」に焦点を当ててみると良いでしょう。もちろん、ここでリフレーミングの技法のひとつである言葉の再定義を入れてみても良いと思います。「おっちょこちょいだ → フットワークが軽い」みたいな感じ考えて・・・・さらに「フットワークの軽さが生きるコンテクストはどのようなコンテクストなのか?」・・・・と考えていくという具合です。

 それで、価値というのは、最終的には観察者の認識のフィルターや相手や状況との相互作用で決まってくるわけであり、もっというとこれが価値というものを決める変数になっているので、価値を変化させるためにこれらの変数をどういじるのか?という発想になってくるというわけです。「この人はどんなところだったら、その価値を発揮して、活きるのだろうか?」と・・・
 
  余談ですが、個人的にはエリクソニアンという自己認識ではなく、エリクソンの技法を少しメタなベイトソンの視点から眺めているベイトソニアンということになるわけですが、エリクソニアンの技法とベイトソニアンの認識つまり、行動と認識が溶け合ったらどんなことが起こるのだろうな?と考えている今日この頃だったというわけです。

 もちろん、ベイトソニアンの視点を取っているので、(学術系の人らは別にして)有象無象のなんちゃってエリクソン催眠家のトンデモな言動を観察しても「こいつらの価値は一体なんなんだろうな?」と人類学的な視点からかなり冷静に見られているところが自分の価値なのでしょうねぇ、まぁ、こいつらっていう時点で十把一絡げになっちゃっているのかもしれませんが・・・(爆)。
 
(つづく)

 文献
[1]http://bscw.rediris.es/pub/bscw.cgi/d4501310/Evans-Hypnosis_Australia.pdf


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