2013年3月26日火曜日

コップに半分の水について考える

                                  

 個人的には、ポジティブ・シンキングって頭の悪い思考だと思うのですよねぇ。(笑)

独り言


 ポジティブ思考って頭が悪い!?

 ネットなどを見ると肯定的思考と否定的思考の例としてコップ半分の水ということが取り上げられることがあります。もちろん、ここでは「半分しかない」と考えるのが否定的思考で、「半分もある」と考えるのが肯定的思考で、いつも肯定的なポジティブ・シンキングを心がけましょうというような頭の悪そうな主張をするつもりはありません。(笑)

 しかし、この構図を認知心理学や一般意味論のフレームワークで考えてみると面白いことが分かってきます。

 まず、誰でも納得出来る事実(に関する記述)が存在します。例えば、ここでの事実は「コップに半分の水が入っている」ということになります。

 そして、この事実を認識している認識の主体は、状況把握とともに何らかの判断基準判断の枠組を持っていることになり、それで判断を行なっていることになります。

 例えば、これから灼熱の砂漠を超えて50Km先のガソリンスタンドまで給油にいかなければならない、という状況を考えてみましょう。

ある人にとって、「コップに半分の水がある」という事実は、その人の判断基準に無意識に照らし合わせてみて、「このままでは心配だなぁ」とか「大丈夫かなぁ?」という気持ちを伴った(主観的な)意味が生じ「もう少し多くの水を持って行こう」というような行動につながっていくことになるわけです。

 また、同じ状況においても別の人は「コップに半分の水がある」という事実に対して、その人の判断基準に無意識に照らし合わせて「これで、大丈夫だ」になれば、「コップ半分の水だけ持って行こう」という行動になってくるということになるわけです。

 もちろん、人によっては、「水をその場で飲み干して、水は持って行かない」という判断と行動もあるでしょう。

 当然ここで、何かトラブルが起こると十分な水を持って行っていない人は何らかの危機に見舞われるわけで、そのあたりのリスクをどう見通しているかも判断の枠組に関係してくるということになってきます。

 それで、事実と意味の間には、明示的な因果関係は存在しておらず、一般意味論の創始者アルフレッド・コージブスキーの有名な「地図はそれが示す土地そのものではない」で、土地=事実、地図=解釈、意味の区別を付けて、その他の関係性があることの重要性について語っている理由もなんとなく見えてくることになります。

 それで、「コップ半分の水」を見て、心配になって、あれこれ対策を取るという行動につながるとすれば、「否定的な思考」というのも状況と相まって必ずしも悪いことではないということになるように思います。

 反対に、気持ちと行動が無意識のうちに自動的に結びついていて行動が制限されるようなところがあるあります。上の例だと心配しすぎて何も手につかない状態のような場合です。もちろん、この場合は、ある気持になっても、一歩引いて見る(メタ認知する)ことで、別の行動も選択肢としてはありだよ、というように行動が気持ちに縛られる必要がないことに気づくことがより重要なことのようにも思えてきます。つまり、ある状況における事実を認識してその反応や心身状態をつくりだしているのは自分であり、事実と解釈の間は一意に決まるものではない、というわけです。

 もちろん、最終的には自分が行いたい行動を取る場合に、自分で最適な心身状態をつくるだせるというところがひとつの目標のようにも思ってきます。そう考えると否定的、肯定的は主観的でかつ相対的なものですし、事実に対して気持ちの制限を超えた行動が出来るかどうか?のほうがより大切だということになってくるのだと思います。

 もちろん、良いコーチにあたると気持ちや既存の枠組を超えた行動が取れるということをきちんと支援をしてくれるのですけれどねぇ。そう考えるとポジティブ思考だとかネガティブ思考とか単なる二元論で分けるのはあまり意味がないというのが今日の結論なのですよねぇ。(笑)


 (つづく)

文献
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