2013年4月24日水曜日

一般意味論の概念を質問に落として日常生活で使ってみる(その13)

                                    

 一般意味論って特定の思想っていうよりも、情報処理のプロセスのモデルを定めた単なる仮説でしかないのだよねぇ~(笑)。

 まぁ、逆に言うとイデオロギーといったコンテンツを扱うものではなく、その人がどのようにしてそのイデオロギーを信念・価値観として信奉するようになったか?というより一段メタの視点から見たプロセスを取り扱うものですねぇ。で、1960年代~70年代に米国では一世を風靡した次期があったという文献を読んだ記憶があるわけですが、日本ではあんまり流行らなかったという理由がこのあたりにあるのかもしれませんねぇ。

 独り言


「地図」と「土地」の関係性

 今日も、一般意味論を日常生活でどのように活かすのか?「Using General Semantics[1]15のフォーマットだけ借りて説明することにしましょう。

 それで、「地図と土地の関係性(Map and Territory Relationship」について書いておきましょう。

 一般意味論のそもそも論は、人が「コトバ」がそれに対応する「モノ」にマッピングされながら抽象化されるプロセスにおいて、「コトバ」と「モノ」を同一視して混同するところから認識やコミュニュケーションにおける混乱が起きているという仮定があります。つまり、一般意味論の企ては「コトバ=地図」「モノ=土地」が混同されるプロセスを追って、この混同をなくしましょうということでもあります。(もちろん、人は何らか外的な情報を神経系に取り込む時点で情報がフィルタリングされるために土地を見ることはできません。例えば、紫外線を直接見ることはできませんし、赤外線を見ることはできない、というのがこれにあたります。)


 経験にコトバのラベリングが貼られ情報が抽象化される過程を追う

 一般意味論は五感の経験にコトバや記号を貼り付けて、情報が抽象化されるモデルとして構造微分(Structural Differential )が提供されています。それで五感から取り入れられた情報がどのように抽象化されるのか?という過程を追うのが以下の質問だというわけです。




·        外的事実に即して私はそれをどのように評価しているか?
·        私のコトバは私の五感の経験とマッチしているか?
·        事実と推論のどちらを参照しているか?
·        事実と推論をどのように区別しているのか?
·        事実を「~と同じ」という表現と使わないで表現すると何が起こるか?
·        その事実を既に経験した枠組から認識していないか?
·        もし、経験していないことだと考えるとどのように説明するか?

抽象化の過程で落ちてしまう情報を追う

·        その事実を表現するコトバはそれだけか?その事実の意味はそれだけか?
·        他に、他に?
·        これを聞いていくことで気がつくことは何か?

外的出来事に自分がどのように反応しているか?に注目する

·        自分の振舞いをメタ認識して分かることは何?
·        それを外在化するには?
·        何が変わる?


 (つづく)

文献
[1]http://communication.ucsd.edu/_files/Berman%20-%20Advanced%20General%20Semantics%20Workbook%20Part%202.pdf


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