2013年4月12日金曜日

一般意味論の概念を質問に落として日常生活で使ってみる(その5)

                                               

 生命としてのオートポイエティックなシステムがあって、「コトバ」も「身体」も「こころ」も「気持ち」・・・もこのシステムの一部の現れでしかない・・・と考えると何か別の世界が見えてくるような気もしますねぇ(笑)。

独り言


 引用符

 今日も、一般意味論を日常生活でどのように活かすのか?「Using General Semantics[1]15のフォーマットだけ借りて説明することにしましょう。

 今日は、一般意味論の引用符(Queues)について説明しておくことにしましょう。

引用符は概念だけを見ると非常に単純なものなのですが、非常に深い概念でもあります。一般意味論的に説明されている「コトバ」の性質は以下のリンクでも書いていますが、


「コトバ」というのはある意味何かの対象に焦点を当てるための補助線としては非常に都合が良いものです。しかし、反対に「コトバ」を補助線として焦点が当たっていないもの、場合によってはそれが存在しないものとして扱われてしまうということになってきます。

例えば、一般意味論は「コトバは、こころと身体と相互作用する」を取り扱った学問でもあるわけですが、当然、「こころ」というところに焦点が当たり過ぎると唯心論になってくるわけですし、「身体」というところに焦点が当たり過ぎると唯物論ということになってくるわけです。もちろん、一般意味論的には、身体あってのこころ、こころあっての身体となり、ここに「コトバ」というものが絡んでくるということになります。

それで、「コトバ」というものはともすると要素還元主義的に一人歩きする性質のものであるため、「思考」、「感情」、「身体」、「こころ」は、なんらかの全体があってその部分としての表れですねぇ。それを忘れてはいけませんよ・・・ということを意識するために一般意味論で使われているのが引用符(Quotes)であるというわけです。
 そう考えると、「コトバ」や「思考」や「身体」や「こころ」はどんなシステムの現れですか?と考えるともっと大きなオートポイエティックなシステムの存在を感じることが出来るということになるのでしょうかねぇ?

 結構、深い話だと思います。

 (つづく)

文献
[1]http://communication.ucsd.edu/_files/Berman%20-%20Advanced%20General%20Semantics%20Workbook%20Part%202.pdf

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