2013年5月25日土曜日

ダブル・バインドにはご用心(その2)

                              

 やっぱりミルトン・エリクソン全集という感じの Complete Works 1780ページ)は行間に深いことが一杯かいてありますねぇ~。

 これを色々読んでいくと、こころの動きをいわゆる「潜在意識」みたいなわけのわからない概念じゃなくて、再現性の高い科学的な「マインドの理論」で説明されているところがいいところなのでしょうねぇ。まぁ、心理療法って潜在意識詐欺じゃないのでしょうから(笑)。
  
独り言


ダブル・バインドの背景にある理屈

ちょっと今日は自分のメモ代わりに。ミルトン・エリクソンの業績集と言うべき「Complete Works[1]を読むと非常に興味深いことが書いてあるのですが、ダブル・バインド関係の話題について少し書いておきましょう。

エリクソンはクライアントとのセッションで、クライアントの認識や行動に変化をもたらすためにほとんど手なりで(セラピューティック)ダブル・バインド、昨日の記事からすると良いダブル・バインドを使っていたようなところがあるわけです。

もちろん、他の人からすれば魔法にようにも見えてくるわけでが、幸いにして、流石に頭の良い人達が居て、色々な学問的なフレームワークを当ててそれが形式知化されたような格好になっています。さて、以下少し具体的に見て行きましょう。(翻訳は適当)


There is free choice on a primary or object level that is recognized by the subject, but behavior is highly structured on a secondary or metalevel in a way that is frequently unrecognized.

一次レベル、もしくはオブジェクト・レベルにおいて、主体によって認識されている自由な選択というものが存在する。しかし、振舞い(行動)はしばしば認識主体が意識していない二次レベル、もしくはメタ・レベルで高度に構造化される。


簡単にいうと「カレーにしようか?それとも焼肉にしようか?」というのは自分で意識して選択することができるということ。(ある意味、自分で意識して変えることができるレベル)しかし、箸を使うにしろ、歩くにしろ、キーボードを叩くにしろ、振舞いや行動については既に意識されていないところで行われているところがあるということ。(意識して多少の修正はできても、意識して変えることが難しいところ)


Other investigators (Bateson, 1972; Haley, 1963; Watzlawick, Beavin, & Jackson 1967;Watzlawick, Weakland, & Fisch, 1974) have related this fundamental characteristic of the double bind to Russells Theory of Logical Types in Mathematical Logic (Whitehead  & Russell, 1910), which was developed to resolve many classical and modern problems of paradox in logic and mathematics.

 他の研究者(ベイトソン、1972:ヘイリー、1963:ウォツラウィック、ベービン、ジャクソン 1967、ウォツラウィック、ウィークランド、フィッシュ 1974)はダブル・バインドの基本的な特徴を数学のロジックであるラッセルの論理階型理論に関連させた。論理階型理論(ホワイトヘッド、ラッセル、1910)は数学や論理における古典から現代のパラドクスの問題を解決するために開発された。
けでするるうにいかし、実際には意識されていない前提や必要条件の

このあたりは有名な「ラッセルのパラドクス」というのがありますが、これを人の心に当てはめてつくったのがベイトソンの「マインドの理論」[2]ということになります。もっとも、これはどうやって既存の枠組を超えて考える、あるいは行動するのかという話になってきます。ちなみに余談ですが、エリクソンの研究を進めていく上で、ベイトソン、ヘイリー、ウォツラウィック、フィッシュ他、エリクソンの心理療法と禅との共通点を見出した著作を残しているが結構印象的です。


The double bind, from this point of view, can be understood as a kind of paradox that the subjects cannot easily resolve so they go along with it and allow their behavior to be determined.

この点から考えると、ダブル・バインドは認識主体が、それに従いつつも、自分で行動の決断を迫られるといった容易に解くことが出来ないパラドクスとして理解することができる。


ダブル・バインドの一例として「私の言うことなんか聞いてはダメですよ、あなたが自分で決めなきゃだめですよねぇ」というのがあるわけです。もっとも普通の日本人はあまりロジックで考えていないので悩まないのかもしれませんが、これを文字どおり解釈すると、自分で決めることは相手の言うことを聞くことというパラドクスが内含されているような形式になっているわけです。


In this sense the double bind can be recognized as a fundamental determinant of behavior on a par with other basic factors such as reflexes, conditioning, and learning.

 この意味で、ダブル・バインドは、例えば、反射、条件付け、学習と並び、行動についての基本的な決定要因であることが認識される。


別にダブル・バインドだけが行動を決定するとは言っていいないところに注意ですかねぇ。


The free choice on the primary level of deciding whether to feed the chickens or hogs first was actually contained within a wider framework, the secondary or metalevel, oftasks which had to be done.

「鶏が先か卵が先か?」のような一次レベルでの自由な選択は、実際には「行わなければならなかったタスクは何か」のようなより広範囲なフレームワークの中に含まれていることになる。


五感から入手された情報で直感的に何かを選択したり、あるいは決断を行ったりしたとしましょう。この情報の認識主体からすれば、この選択や決断は自由に行われていると思っています。しかし、実際には認識主体の意識にのぼっていない前提や必要条件などの枠組のもとで行われていることになります。


Little Erickson could question what he wanted to do first on the primary level and he could feel proud of being permitted choice on that level.

小さなエリクソンは一次レベルで最初に行いたいことについて質問することができただろう、そして一次レベルでの選択が認められたことにほこりを持つことができるだろう。


このあたりは一般意味論の構造微分で考えると分かり安いのですが、何かを選択してそれが上手く出来たという五感を伴った経験を持つこと、と考えるとわかりやすいでしょう。余談ですが、コーチングなどでの承認ということを考えた場合、事実としても振舞いに対する承認と、メタ・レベルにある思考や枠組に対する承認の2つにどのような違いがあるのか?を考えるとその意味が分かってくるようにも思います。


What the boy Erickson could not question was the metalevel of tasks which had to be done.

 少年のエリクソンが質問できないことは「何をする必要があるのか」というようなメメタレベルの質問である。


要は、多くの人は「何がしたい、何がしたくない」という一次的レベルのことを意識することはできるけれども、「そのためには何をする必要があるのか?」といったその裏にある必要条件や前提については意識していないことがほとんどということになってくるわけです。


No one could question the metalevel, probably not even his father, because it was a mental framework that was built-in on the meta- or unconscious level as a basic assumption of their way of life.

 誰もメタ・レベルの質問が出来ない、おそらく彼の父親でもそうである、その理由は、それが生活の前提の基本となるメタ、あるいは無意識のレベルの心のフレームワークであるためである。


普段生活していると自分がどのような枠組で考えているのか?ということは意識することもないのでしょうし、もしかすると単純に質問されても分からないのではないかと思ってくるわけです。


These first examples of the double bind may therefore be described as free choice of comparable alternatives on a primary level with the acceptance of one of the alternatives determined on a metalevel.

ダブル・バインドの最初の例はプライマリ・レベルでの比較できる代案の中から選択を行うような場合で、メタ・レベルで決定された代案を受け入れるような格好として記述されていた。


要は簡単にいうと想定内の選択肢から一つを選ぶというのがここでの最初のステップ。もちろん、枠組を超えるためには想定している前提などを超える必要があることになってくるわけです。

(つづく)

文献

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