2013年6月17日月曜日

クリティカル・シンキングは悩ましい(笑)



 クリティカル・シンキングは、自分で自分の思考プロセスに論理的な破綻がないかどうかを自分で調べる時はほとんど問題にならないと思います。 しかし、クリティカル・シンキングの難しいところは、相手とのコミュニケーションにおいて、相手から「あなたの思考のロジックは変ですよ!」と指摘されるような感じになるとロジックではなくて感情の問題になってくるところなのですよねぇ。(笑)で、そこに反発や抵抗が生まれると・・・ということになってくるわけですねぇ。ある意味、意識に焦点を当てた方法ですからねぇ・・・・

 だから、相手のロジックの不備を指摘する時も上手くやろうとすると、心理療法家のミルトン・エリクソンのように間接的に相手に示唆するような感じでやらないと人間関係がギクシャクしてくるのですよねぇ。こちらはある意味、無意識に焦点を当てた方法ということになってくるでしょう・・・・

 それで、日常生活や仕事の場面では橋下市長のように相手をクリティカル・シンキング(主にトゥールミン・ロジック+ネガティブ・ダブル・バインドの質問)で論点をずらしたり相手を追い詰めるようなことをやっていると人間関係はギクシャクしてくるのでもう少し別のモードを模索しないといけなくなるようにも思ってくるわけです。(笑)

 
 独り言


クリティカル・シンキングの悩ましさ

 少し前にビジネス・パーソンの間で流行した方法論にロジカル・シンキングやクリティカル・シンキング[1]があります。

 クリティカル・シンキングを簡単に説明しましょう。クリティカル・シンキングは、自分の思考プロセスにロジックに誤りがあったり、あるいはヘンテコなヒューリスティックや認知バイアスがかかっていたりしないか?どうかについて自分の中にメタ視点を立てて、その思考自体を対象として観察してみましょうという思考法です。


 それで、以下にクリティカル・シンキング関係の資料がてんこ盛りのサイトがあってクリティカル・シンキングと一般意味論の関係について書かれているPDFドキュメントが読めるようになっていたので読んでいたという次第です。
 

それで、やはり個人的に思うのは、自分で自分の思考プロセスに論理的な不備がないかを調べる時はそれほど問題ないと思うわけですが、逆にコミュニケーションにおいて相手のロジックに不備があるというのを指摘するのはかなりリスクが高いことでもあるわけです。

 そのようなわけで、心の中でクリティカル・シンキングを行うのは良いとしても、それを表現する時は、そのあたりを暗に示唆するのが大人のコミュニケーションということになってくるわけですが、このあたりがコミュニケーションの深いところもあるように思ってくるわけです。


(つづく)

文献

[1] http://ja.wikipedia.org/wiki/批判的思考

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