2013年6月20日木曜日

コミュニケーションとシステム論



 フランシスコ・ヴァレラが生きていたら、ニクラス・ルーマンのコミュニケーションを構成素とした社会システム論のオートポイエーシスについてどんな意見を持っているのか?直接聞いてみたいところですねぇ。

 独り言


コミュニケーションも生き物だろうなぁ・・・・

 朝、隅田川のほとりを散歩していると色々な動物たちが生きていることに気づきます。

護岸に生えている海藻を食べているカルガモのつがい、自分の気の向くままに小魚を探してまわる川鵜、草むらの中から何かを探しているスズメ・・・・

 一方、川面にお腹を向けて浮かんでいるスズキやボラの死骸・・・・・

 まさに生と死の対比ということになるわけですが、生きている状態と死んでいる状態の違いは何なんだろうか?と少し哲学的な思索に入っていくわけです、

 それで命がある状態というのは認知科学的に定義すると、オートポイエーシスが形成され続けている状態と言うことになるわけでしょうし、反対に、死んでしまった状態というのはオートポイエーシスの見えない円環が完全に消滅してしまって二度と元には戻らない状態なのだろうなとマトゥラーナとヴァレラの共著「オートポイエーシス ― 生命システムとは何か ―」[1]からするとそんなことを考えていたわけです。


もちろん、オートポイエーシスはその適応範囲と解釈が研究者によってまちまちです。

これについて、Wikipeida のオートポイエーシスの説明によると[2]、社会学者のニクラス・ルーマンがコミュニケーションを構成素として社会システムにオートポイエーシスを適用した話が書かれていますが、ヴァレラの場合は、「ヴァレラは、オートポイエーシスという用語は本来の産出関係が認められる細胞・免疫・神経システムに限定して用いられるべきであって、そのより一般的なシステム論的本質は単にオートノミー (自律性) と称されるべきだと主張している。」と書かれています。

それで、ここからが本題に入ってくるわけですが、欧米ではコーチングの効果を科学的かつ統計的に検証しようというエビデンス・ベースド・コーチングの流れがあって、そのバイブル的著作にシドニー大学のトニー・グラントが編集した「Evidence Based Coaching HandBook[3]というのがあります。

もちろん、本書はそれまで手なりで行われていたコーチングの技法を色々な科学的あるいは心理学的なフレームワークで見て行きましょうという著作なのですが、中々良い著作ではないかと思っています。

それで、の著作に収録されているエッセーに「Coaching from a Systemic Perspective :A Complex Adaptive Conversation[4]というのがあって、ネットでも公開されて無料で読めるようになっていますが、再読していた非常に面白いなと思ったことがあるわけです。

このエッセーでは、クライアントとコーチのコミュニケーションを一つのシステムと考えているわけですが、このコミュニケーションをモデル化する時に用いられているシステム論がベルタランフィの一般システム論[5]というわけです。つまりここでは、情報の入出力が開放系で行われるインプット-アウトプットというような(対象が生物か非生物かを明示しない形式の)システム論をベースに語られていることになるわけです。


もちろん、クライアントとコーチの間で行われるコミュニケーションは自律的ですし、ある意味創発的ということになるわけで、逆に言うとコンピュータのメタファーでクエリーを投げると答えが返ってくるというような単純なモデルでは表わすことの難しいことになるわけです、ここでクライアントとコーチの間で行われるコミュニケーションをルーマンの考えるようなオートポイエーシス・ベースのシステム論で考えるとどのようになるのだろうか?とふと考えてしまった梅雨だったわけです。

もちろん、クライアントとコーチのコミュニケーションをオートポイエーシス論でモデル化したからといってコーチングが上手くなるわけではないのでしょうけれどねぇ。(笑)
 
(つづく)

文献
[5]http://ja.wikipedia.org/wiki/一般システム論

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