2013年6月21日金曜日

ベイトソニアンの系譜



 デカルトのロジックで生きていると肩が凝るのはなぜだろうねぇ?(笑)

 独り言


ベイトソニアンって何?

 シャーロック・ホームズをこよなく愛する人を「シャーロキアン」と言います。これと同じように、グレゴリー・ベイトソンをこよなく愛する人のことを「ベイトソニアン」と言います。

 しかし、ここで疑問が起こります。「シャーロキアン」はシャーロック・ホームズの小説を読み、その物語をあれこれ研究している人というイメージがありますが、では「ベイトソニアン」はどのような条件を満たしている人なのか?
 
実はこれを定義するのは非常に難しいことようにも思ってきます。

おそらく「ベイトソニアン」というのはベイトソンのものの見方や考え方を日常生活で実践している人ということになるわけですが、それはどのようなものか?

その答えは、「差異から発生する『情報』と『パターン』」に還元してものごとを観察する人、あるいは以下の表のようにデカルト史観で物事を考えていない人ということになるでしょう。

それで、以下のリンクにデカルトの世界観とベイトソンの世界観との違いを書いたわけですが、ある意味、ベイトソンの世界観で生きている人が「ベイトソニアン」というわけです。


デカルト(近代科学)の世界観
ベイトソンの全体論の世界観
事実と価値は無関係。
事実と価値は不可分。
自然は外側から知られ、諸現象はそのコンテクストから取り出され、抽象化されて吟味される(実験)。
自然は我々との関係の中で明らかにされ、諸現象はコンテクストのなかでのみ知ることが出来る。(参加する者による観察)。
自然を意識的、経験的に支配することが目標。
無意識の精神が根源にある。叡智、美、優雅を目標とする。
抽象的、数学的な記述。数量化できることのみが現実。
抽象と具象とが混合した記述。量よりも質が第一。
精神は身体から、主体は客体から分離している。
精神/身体、主体/客体はいずれも同じひとつのプロセスのふたつの側面。
直線的時間、無限の進歩。原理的には現実を完璧に知り尽くすことができる。
循環的(システムの中の特定の変数のみを極大化することはできない)。原理的に現実の一部しか知ることは出来ない。
ABか」の理論。情感は生理現象に伴って二次的に生じる現象である。
ABも」の理論(弁証法)。情感は精緻な演算規則を持つ。
<原子論>
<全体論>
1.物体と運動のみが現実。
1.プロセス、形、関係がまず、はじめにある。
2.全体は部分の集合以上のものではない。
2.全体は部分以上になる特性を持つ。
3.生物体は原理的には非有機体に還元可能。自然は究極的には死んでいる。
3.生物体、もしくは<精神>は、構成要素に還元できない。自然は生きている。

それで、基本的には仏教の「山川草木悉皆成仏」を『ディープ・エコロジー』と言い換えて哲学的に小難しく言っているだけのようにも思えてくるわけですが(笑)、21世紀のいまでも、あるいは21世紀の今だからこそ、ベイトソンの世界観が重要になってくるように思ってくるところでもあるわけです。

で、ここからが本題です。

 昨年、カリフォルニア州のアシロマで、The American Society for Cybernetics の後援で行われたカンファレンスがありました。このカンファレンスの一部としてベイトソニアンな大学の先生のプレゼンテーションが Youtubeにアップロードされていたので貼り付けておくことにしましょう。


(つづく)

文献
[N/A]

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com






0 件のコメント:

コメントを投稿