2013年7月26日金曜日

ミルトン・エリクソンの技法はお笑いの要素が必要(笑)



 心理療法家のエリクソンはその技法について暗黙知しか残さなかったので、後の研究者はエリクソンの暗黙知の一部を形式知化しようとして躍起になってところがあります。もちろん、形式知化したからといってエリクソンになれるわけではありませんけれども(笑)。

それで、エリクソンの特に言語パターンを形式知化するために1)統語論、2)意味論、3)語用論といったフレームワークを立ててみることになるわけですが、特にエリクソンが活用したメタファーについては意味論、特に認知言語学のフレームワークを立ててエリクソンの底の見えない深遠なる懐を覗いてみるという感じになるように思います。

もちろん、認知言語学のジョンソン&レイコフの著作「Metaphors We live by」が出版されたのが、エリクソンが亡くなった1980年ですから、意味論についてはベイトソンの理屈やコージブスキーの一般意味論をメガネとして見られていたという歴史的な事情を考えていないといけないのでしょうけれども・・・・・

 独り言


メタファーはアブダクションでアブダクションはなぞかけなり・・・・・

 米国臨床催眠の学会である「The American Society of Clinical Hypnosis」発行されている学会誌「The American Journal of Clinical Hypnosis」に掲載されている「Men Are Grass: Bateson, Erickson, Utilization and Metaphor[1]を読んでいたわけですが、個人的には非常に興味深いことが書かれています。


We do not judge that this or that thing is necessarily disturbing.
We can only wonder what use can be made of it. Milton H.
Erickson (1985, p. 257).

私たちはそれについて判断を保留する、このこと、あるいはそれは必然性があって心をかき乱しているのだから。私たちはそれをどのように活用し得るのかのみ知り得る。るにてすないといけないのでしょうけれども。用したことで知ら Hypnosis

 心理療法家のミルトン・H・エリクソンは心理療法のセッション中にメタファーと利用できるものはクライアントにとって不都合なことでもなんでも活用するユーティライゼーションを活用していたわけですが、この2つがどのようにつながるのか?一般的な演繹法による三段論法と、グレゴリー・ベイトソンの使った「人間は草である」のアブダクション(メタファーのロジック)のロジックを使った三段論法の違いを使って説明してあるというのがこのエッセーの趣旨というわけです。

 で、レイコフ&ジョンソンの特に概念メタファーの定義は「ある概念を別の概念で説明すること」と定義されていましたが、ここではそれよりもう少しその意味が広く取られた感じのメタファーになっています。

 それで、エリクソンのユーティライゼーションというのは、大喜利でやっている「なぞかけ」をアドリブで作るということになってくるわけですが、ある意味、これがユーティライゼーションの本質でもあるわけです。(笑)


 そのようなわけで、日本ではエリクソンの心理療法はある意味、笑点のお笑いみたいな感じにもなって、関係ない2つの要素に意味を見出したり、資源・資質を発見したりということが期待されているわけですが、そこがエリクソンの面白いところでもあるのでしょう。

 それで、エリクソンの面白さはユーモアとかお笑いの要素が適度に散りばめられているところなのだろうなとも思うわけですが、案外、エリクソニアンの修行の一つとしては落語とか大喜利とかを取り入れても良いのかなぁと思っている今日この頃だったわけです。(笑)

(参考)
(つづく)

文献
[1]http://www.asch.net/portals/0/journallibrary/articles/ajch-50/50-3/roffman50-3.pdf

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