2013年7月28日日曜日

広告の中のダブル・バインド



 広告の送り手と広告の受け手の間にあるのはコミュニケーション。

 それで、このエッセーでは広告の送り手が広告の受け手にベイトソニアンなダブル・バインド、例えば

(1)  ソーダ水Xを飲めば、その(排他的)集団の中で幸せになる・・・・
(2)  (排他的)集団の一部になってはいけない、あなたは、ひとりの個人なのだから・・・
といったパラドクシカルなメッセージを送った場合、それを受け取った一部の受け手がどのような認識でその情報を処理し、そしてどのような行動を取るのか?についてニクラス・ルーマンの社会システム論とグレゴリー・ベイトソンのダブル・バインドの視点から考察されているのがこのエッセーだというわけです。

そう考えると、コピー一行書くにも認識論や認知科学などの知識が無いといけないという凄い時代になったとも思うわけですが、個人的には職業柄そういったコピーをさらにリバース・エンジニアリングしていつもちゃぶ台を根底からひっくり返すダブル・バインド外しのリフレーミングを考え続けている今日この頃だったわけです。(笑)

 
 独り言


広告の中のダブル・バインド・・・・・

 今日は、手短に、

The prospect and schizogenesis: A Batesonian perspective on the implications of the double-bind in advertising messages[1]というタイトルのエッセーが面白かったのでご紹介しておきましょう。

 これは、テレビのCMや雑誌、新聞などの広告でダブル・バインドのメッセージを使ったら、広告の送り手と(その広告に反応した)広告の受け手の間でどのような関係が築かれ、そして受け手である消費者はどのような行動に出るのか?について、人類学者のグレゴリー・ベイトソンと社会学者のニクラス・ルーマンのオートポイエーシスを援用した社会システム論の視点から考察されたエッセーだというわけです。

 これからすると、広告の送り手と受け手の間にはコミュニケーションを構成素とするオートポイエーシスが存在するような恰好になって、そこでパラドクスを含んだメッセージがやり取りされるとどういう結果になるのか?が考察されているわけですが、個人的には非常に興味深く読んでいたというわけです。

 こういったエッセーを参照すると、広告のコピーを書くにしても、広告一つ打つにしても、認識論や認知科学、あるいはシステム論の知識は必須のようにも思えてくるわけですが、逆の言い方をすると、凄い時代になったもんだ・・・とも思っているわけです。

 もちろん、幸か不幸か、もし、広告主がダブル・バインドを含んだメッセージを送ってきても、個人的には巴投げで投げ返してしまうので、なんとも思っていないわけですが、ある意味、何にも考えてないで生きていると不要なものまで色々買わされてしまう時代なのだろうなぁと思ったわけです。(笑)

 余談ですが、広告の作り手にこういのを教えて上げるというコンサルティングなどはありかもしれませんけれどねぇ~

(参考)
(つづく)

文献
[1] http://www.marketplanet.ru/filestore/0008/0064/963/267.pdf


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