2013年8月7日水曜日

コミュニケーションにおけるパラドクス



 結局、パラドクスというのはちょっとした人と人とのメッセージ(とメタ・メッセージの)やり取りの中で起こるというわけです。

 もちろん、このパラドクスから抜けられなくなってくると統合失調症的なダブル・バインドの構えができてくるわけでしょうし、逆に禅問答的な治療的ダブル・バインドを使うと今ハマっている枠組みから抜けるなり、気づきを得るなり・・・となってくるわけですね。

 その意味ではパラドクスで潰れることもあれば、一皮むけることもあれば、どっちに転ぶのかやってみなければ分からないということになってくるわけで、ある意味そこが意図的にパラドクスを使う難しさでもあるのでしょう。

 独り言


コミュニケーションの中のパラドクス
 
Patterns of Interactional  Paradoxes[1]というエッセーを読んでいたわけなのですが、これが非常に面白いときています。

 で、要は人と人とのコミュニケーションにおいて起こるパラドクスのパターン、あるいはそこからダブル・バインドに発展するパターンなどを扱っているわけですが、人はふとしたコミュニケーションをきっかけに、気付かないうちにあまり建設的な結果にならないパラドクスに陥っているようにも思ってきます。

 はじめに、1)良い悪いの二値的思考、2)人は理性的、良いひとは理性的、3)自己開示、フィードバック、開放的、信頼、自己実現につながる振舞いを賞賛する、といった前提を持っていると確実にパラドクスに陥ってしまうことが語られているのは面白い点です。要は、これが思い込みのようになっているとパラドクスを引き起こしやすいことになってきます。

 例えば、このエッセーの最後のほうで取り上げられているパターンがあります。

親「愛してと言いなさい」
子供「愛している」
親「ただ、言っているだけだな・・・」

と、言うように、相手の言動に対してメタ・メッセージとして「それは本心ではないでしょう?」を返すと確実のパラドクスが生まれるわけですが、で、これを打ち消すために一生懸命に相手に尽くすような行動を取るのか? あるいは、そのメタ・メッセージに対して別のメタ・メッセージをぶつけて、茶化すのか?あるいは脅すのか?それはその時の状況次第ということになってくるわけですが、こういった展開が展開が色々考えられるのが、こういったパラドクスの面白いところなのでしょう。


(参考)
(つづく)

文献
[1] http://www.carolwilder.net/Articles/PatternParadox.pdf

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